野上弥生子の日記から。
昭和7年6月19日 その留守に佐藤春夫の紹介で沢田と云ふ人が来訪。長く米国に行つてゐた人で、佐藤や谷崎の友人の由、ちもとのお菓子をどつさり持つて来た 子供たちから大に賞揚される。
6月26日 父さんには朝この間佐藤春夫の名刺をもつて来た沢田来訪。太田善男の友人。太田氏の著書を岩波から出して貰ひ度き件。
「太田善男」は評論家で、明治37年、一高時代の同級生の小山内薫、川田順、武林無想庵らと『七人』を創刊。翌年東大英文科卒。博文館に勤め、43年退職。大正8年から慶大予科教授。太田訳のヒューム『人生論』(岩波書店)は昭和8年1月刊行。「後記」で野上豊一郎(弥生子の夫)と畏友澤田に謝辞を述べている。
澤田の名前は「谷崎潤一郎詳細年譜」(小谷野敦作)にも何回か登場する。谷崎の従妹イネの元夫で英文学者とのことだが、詳しい経歴はよくわからない。
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夜10時からNHK教育ETV特集「禁じられた小説〜七千枚の原稿が語る言論統制〜」を見るだすね。