神がかり学者の平泉澄の評伝、若井敏明『平泉澄 み国のために我つくさなむ』(ミネルヴァ書房、2006年4月)によると、
なお、航空機でのアメリカ空襲以外に、さらに平泉が必勝の方策として期待したのが化学兵器で、この分野を管轄していたのが四高で平泉と同期の石井四郎軍医だったという。
(略)石井といえば細菌兵器のような気もするが、その時期からみて、平泉が特攻兵器に加えて化学兵器を「必勝の方策」(『高松宮日記』一九四四年八月十一日*1)と考えていた可能性は高いと思われる。
平泉とあの石井四郎のつながり。やはり、すべてはつながっておるのじゃ。