神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

3年後の令和4年が人文書院100周年

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8月10日(土)丸善の京都本店で、本のつくり手である著者や編集者と読者を直接つなぐイベント「honto店舗情報 - 丸善創業150周年記念 京都BOOKCON 読み手と作り手をつなげる本の祭典」があって、人文書院のブースもあるらしい。3年後の令和4年が創業100周年になるとのことで、復刊リクエスト投票を企画しているようだ。大正11(1922)年創業というのは、『日本出版百年史年表』が根拠らしく、そこでは大正11年11月1日創業となっている。
人文書院及びその前身とされる日本心霊学会の創立及び出版活動については、ネットで読める石原深予先生の「編集者清水正光と戦前期人文書院における日本文学関係出版ーー日本心霊学会から人文書院へーー」に詳しいが、日本心霊学会の創立は明治41年、創業者藤田藤交(本名久吉)の『心霊治療秘書』刊行は大正2年、機関紙『日本心霊』は大正4年2月創刊、人文書院名での刊行は昭和2年11月からだがそれ以降も日本心霊学会は存続していたなど、何時をもって創業とするか諸説色々あり得るようだ。しかし、社としては大正11年創業として色々イベントをやってくれる模様。令和4年には一柳廣孝先生か吉永さんの記念講演を開催してほしいが、更に欲を言えば発見されたほぼ揃いの『日本心霊』や太宰治の書簡を含む貴重な書簡群などの展覧会も実施してほしいものである。
なお、写真の『日本心霊』は私の所蔵である。

戦前の京都で発行された健康雑誌『かゞやき』と富田精・富田房子夫妻

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一時期健康法とか霊術関係の本を熱心に読んでいた。田中聡『健康法と癒しの社会史』(青弓社、平成8年9月)もその一冊である。同書26頁に昭和初期における健康雑誌の登場に関する記述がある。

昭和初期には、『健康時代』(昭和五年=一九三〇年創刊)や『健康日本』(昭和七年=一九三二年創刊)などといった健康雑誌が出版されている。それまでにも『家庭娯楽 衛生新報』(明治三十七年=一九〇四年創刊)などの衛生啓蒙の雑誌はあったが、「健康」という言葉を冠した一般向けの読み物雑誌は、(あくまで入手できた資料の限定のなかで言うことだが)この頃に初めて登場してきたように思われる。(略)

写真の『かゞやき』2巻5号(かゞやき発行所、昭和9年5月)も表紙に「心とからだの健康雑誌」と冠されている。54頁、どこかの古本市で吉岡書店から500円で購入。内容は真面目なもので、霊術とか怪しげな健康法が出てこないのでやや迷ったが、京都で発行されていることや、西田天香武田五一が執筆しているので購入。府立京都学・歴彩館が2巻1号(昭和9年1月)を所蔵。
編輯兼印刷人は日置昇平。発行人は京都市上京区出雲路河原町の新江ゆう、発行所のかゞやき発行所も同所在地である。
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目次は写真の通りで、武田の「我が住宅」は、現存しないが武田邸の各部屋についての詳細な説明である。何度も名前があがっている富田精は医師で、房子は妻である。この雑誌は、実質的には富田夫妻の病院が発行していた健康雑誌のようだ。富田の経歴は、『日本医籍録』(医事時論社、昭和11年7月11版)から要約すると、

富田精 出雲路河原町
内科 富田病院 明治17年
福井県出身。大正7年京大医学部卒。卒業後、新町に開業。傍ら京大内科で研究。昭和2年医学博士。14年現地に分院開設。13年私立産婆学校創設。白木山分院を目下建築中。

現在も社会福祉法人京都博愛会冨田病院として存在するようだ。妻の房子は、「冨田ふさ」としてWikipediaに立項されているが、明治26年生、東京女医学校卒の産婦人科医。昭和22年初の女性衆議院議員となり、29年没。
京都の医師で西田天香と交流があれば、小林参三郎や静坐社とも関係があるかもと思ったが、今のところ不明である。
参考:「京阪書房で小林参三郎『生命の神秘』を買ったら『京都新聞』に静坐社の記事が
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オカルトに好意的だった冨山房の『国民百科大辞典』

『国民百科大辞典』10巻(冨山房昭和11年7月)に心理学者で早稲田大学文学部講師だった戸川行男が「念写」の説明を書いている。

ねん-しゃ[念写][[英]thought photography] (略)霊媒ノ思想又ハソレヲ通ジテ他人ノ思想ヲ写シウルトノ主張者ガ現レ、思想写真又ハ念写ナル名称ガ用ヰラレルニ至ツタ。(略)コノ現象ノ真偽ハ未ダ明白デナイ。[戸川]

戸川は、『日本心理学者事典』(クレス出版、平成15年2月)によれば、明治36年生、昭和4年早稲田大学文学部哲学科心理学専攻卒業、8年早稲田大学文学部講師、15年同助教授、20年同教授、平成4年没。福来友吉が東大を追われた大正4年*1以降、学界では千里眼や念写については否定派ばかりだったかと思いきや、真偽不明という中立的立場とはいえ、福来に好意的に見えてしまう。一柳廣孝先生の名著『<こっくりさん>と<千里眼>ーー日本近代と心霊学ーー』(講談社、平成6年8月)によると、千里眼事件最中の明治44年5月福来は恩師の元良勇次郎に「君の今の研究は、心理学者に同情がない」と言われたというが、福来に同情的な心理学者はいたのかもしれない。
百科事典と言えば、平凡社の『大百科事典』だが、第20巻(昭和8年7月)の「念写」を見ると、

ネンシャ 念写 Thought-photograph (略)初めてこれが可能を主唱したのは福来友吉であるが、実際にはまだ確実に証明されてゐない。(略)その後福来は、長尾郁子を指導して、次第に複雑なる文字や画像をさへ念写し得るやうに養成した。しかし、山川健次郎の立会実験の結果、長尾の念写は詭計(ルビ:トリック)であるといふことに断定せられてゐる。そののち福来は、更に高橋某女、三田光一等について、念写の可能を世に公表したが、いづれも実験がまだ不確実で、特に三田光一の念写は、東京の大日本衛生会館に於ける実験会で、その詭計であることが暴露された。(中村)

冨山房のものに比べると千里眼事件の経緯に詳しく、かつ、否定的な立場がうかがえる。平凡社の方は執筆者一覧が見つからなかったが、「中村」は物理学者で東京帝国大学名誉教授の中村清二だろう*2。念写については否定派だった。中村は冨山房の方の執筆者でもあったから、冨山房が戸川でなく彼に書かせていたら、まったく違った記述になっていただろう。
冨山房の執筆者は心霊現象などに好意的な人が多かったようだ。7巻(昭和10年9月)の「心霊写真」を見てみよう。

しんれい-しゃしん[心霊写真] 幽霊写真ノ一種。心霊現象ノ一デ、霊媒又ハ他ノ者ニ依テ、遠隔者ヤ死者ノ写真ヲ撮影スルモノ。(略)何レモ詐術問題ヲ惹起シタナドノ歴史ヲ有スルモノデ、近クハ我千里眼ノ念写等モ、之ニ含マルベキモノダガ、心霊学ガ尚充分発達シテ、客観的ノ説明ヲ為シ得ルニ至ルヲ俟ツベキモノデアラウ。[石原(保)]

心霊学の発達をまつというのは、充分心霊写真という現象に好意的に思える。執筆した石原保秀は明治10年生の医史学者。同辞典では「心霊療法」も執筆している。
そして、変態心理の中村古峡は「心霊物理現象」を担当。記述の末尾に「従来発表サレタ是等ノ現象中ニハ、詐欺又ハ手品ノ種ノアガツテヰルモノモアルガ、又、ドウシテモ詭計ノ存在ヲ否マザルヲ得ナイヤウナ神秘的ナモノモアル。[中村(蓊)]」とあって、これは心霊物理現象に随分好意的である。中村は「千里眼」も執筆している。2つの百科事典をみただけだが、もっと多くの事典でオカルト関係の項目を調べて比較したら面白そうだ。

今なお古書価沸騰中!桑田欣児の霊術本

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先日街角で本ノ猪君とすれ違って、そう言えば四条河原町の京都マルイ前で古本市をやっていたなあと思い出し、のぞいてみた。そうすると、桑田欣児『家庭読本』(真生会本部、昭和12年12月)を発見。東京くりから堂出品、52頁の小冊子で300円。発行所の真生会本部は、現在の北海道芽室町に所在した。
桑田というと4年前書物蔵氏に連れて行ってもらった中野ブロードウェイまんだらけにあった桑田本の買取強化中のチラシが記憶に残る。チラシを掘り出して見ると、『霊能開発法一名寂玄術』(二松堂書店)が15万円、『修養法』(真生会本部)が10万円など、桑田の霊術本の買取価格がいい値段になっている。この値段に利潤を上乗せしても売れる当てがあったのだろう。一過性の現象だろうなあと思っていたが、今まんだらけのサイトを見ると、今年3月現在で前者が18万円、後者が20万円。値上がりしてるではないか。文学者の初版本の値下がりが著しい昨今の古本事情の下でも、霊術本は値上がりしてるのか(◎-◎;)
霊界廓清同志会編『霊術と霊術家:破邪顕正』(二松堂書店、昭和3年6月)によると、桑田は大正10年清水英範の東京心理協会の十勝支部長として霊術をスタート。その後帝国心霊研究会長として独立。同書ではボロクソに書かれていて、解説の末尾に「運命は馬鹿に宜い。こんなに罵られても、万難に打ち勝つ幸運児となる。悪人栄えて善人が亡び石が流れて木の葉が沈むかネ」とある。確かに古本の世界でも桑田は「幸運児」となったようだ。
ところで、私が買った『家庭読本』は「この小著は『真生の道』の下書の出来ただけを印刷に附したもの」とあり、国会図書館にある『真生の道』(真生会、昭和15年12月)の一部であった。内容は、良縁成立法や夫婦和合法の話で、霊術とは無関係であった。残念(´・_・`)

『国民百科大辞典』(冨山房、昭和9年~13年)に結集した宗教学者達

『国民百科大辞典』14巻(冨山房)の「寄稿家名鑑」に挙がった宗教学者・宗教関係者の名前、肩書き、担当分野を仏教、神道キリスト教に分類してみた。

・仏教
石井教道 大正大学教授 仏教(浄土宗)
伊藤東慎 文学士 仏教
宇井伯寿 東京帝大教授・文学博士 仏教史
大野法道 大正大学教授 仏教(教義)
小田慈舟 高野山大学講師 密教
小野玄妙 高野山大学東洋大学教授・大正新修大蔵経編纂主任・文学博士 仏教(伝説・人名・仏典)
金山真爪 大正大学講師 仏教一般
島田修三 文学士 仏教
関口慈光 浅草寺仏教学院講師・文学士 仏教(寺院)
高楠順次郞 東大名誉教授・帝国学士院会員・文学博士 仏教
土井忠雄 龍谷大学研究室・文学士 仏教
禿氏祐祥 龍谷大学教授 仏教(美術・歴史)
二宮守人 大正大学教授 仏教(人名)
花山信勝 東洋大学教授・東京帝大講師 仏教史
姫宮智円 文学士 仏教
平等通昭 印度学研究所・文学士 印度仏教
望月歓厚 立正大学教授 仏教(日蓮宗)
山田霊林 駒澤大学講師 禅宗

神道
加藤玄智 國學院大學大正大学教授・文学博士 神道
河野省三 國學院大學長・文学博士 国学神道
故三上左明 (内務省神社局)・文学士 神道
溝口駒造 明治聖徳記念学会研究員・東洋大学講師 神道

キリスト教
石橋智信 東京帝大教授・文学博士 宗教学*1
石原謙 東北帝大法文学部教授・文学博士 基督教史
大畠清 東京帝大文学部講師・文学士 基督教史(旧約)
Kraus,Johannes 上智大学教授・政治学博士 カトリック
小林珍雄 上智大学講師 カトリック
河面仙四郎 早稲田大学文学部教授 基督教(教派・儀典)
三枝義夫 明治大学予科教授 基督教教義
神保勝世 日本基督教神学校講師・文学士 基督教
高楠久則 文学士 基督教人名
Du Moulin,Heinrich 上智大学教授・神学博士 カトリック
Heuvers,Hermann 上智大学教授・哲学博士 カトリック
故森敬之 文学士 宗教学・基督教
吉満義彦 上智大学教授・文学士 カトリック

神道が4人で、仏教の18人やキリスト教の13人と比較して極端に少ないのが目立つ。ただし、神道においては一人当たりの執筆項目数が他より極端に多いという可能性もあるので、全巻に当たって該当項目数を拾わないと正確な傾向はうかがえないか。仏教と神道には多少知った名前があるが、恥ずかしながらキリスト教は一人も知らない。同教の執筆者がやや上智大学に偏っているのは何か理由があるのだろうか。
そう言えば「イスラム教」という担当分野が出てこないので、幾つかの項目を見てみた。「イスラーム教」は「飯田」の執筆で「故飯田忠純 文学士・法学士 西洋史西洋音楽・アラビア文化」、「コーラン」は「三枝」で三枝義夫と思われる。他にも気になる用語を調べると面白かった。

大本教 河野(省) 河野省三
催眠術 中村(蓊) 「中村古峡 文学士 変態心理・迷信」
催眠術取締 山崎(佐) 「山崎佐 東京帝大講師・弁護士・医学博士 医事法制」
心霊学 中村(蓊)
心霊現象 中村(蓊)
心霊写真 石原(保) 「石原保秀 皇漢医学」(担当分野の記載だけで肩書き無し)
心霊物理現象 中村(蓊)
心霊療法 石原(保)
念写 戸川 「戸川行男 早稲田大学講師・文学士 心理学」
バハイズム 粟飯原 「故粟飯原晋 (国際連盟事務局東京支局員) 国際連盟

*1:単に「宗教学」とあるが、キリスト教に分類した。

臨川書店のバーゲンセールで冨山房国民百科大辞典の禅宗関係原稿を発見

f:id:jyunku:20190731202405j:plain『本郷』7月号(吉川弘文館)で仏教大学を定年退職した原田敬一氏の「雛道具と生活史」に冨山房の百科事典が出てきた。

古書市で朝一番に行くと、必ず松尾孝兊先生と遭遇し、簡単な挨拶の後は、お互いに無言で書物を漁っているのが常だった。松尾先生が、文英堂の『民本主義の潮流』を書かれた際、図版には「木公文庫」とクレジットがあった。(略)古書市で丹念に集められた友愛会のパンフレットなどだった。確かにふだん店頭にはない薄い冊子や嵩張る冨山房の百科事典などは、古書市ならではの出品だった。

古書市で薄い冊子を掘り出すのはわしのお得意だが、冨山房の百科事典は買ったことはない。もっとも、数年前臨川書店のバーゲンセールで写真を挙げた『国民百科大辞典』(冨山房)の原稿を見つけた。禅宗には興味がないが、戦前の事典の原稿というのが面白そうだし、100円だったので購入。
著者の伊藤東慎は、『古寺巡礼 京都』6巻建仁寺(淡交社、昭和51年11月)の「著者略歴」から要約すると、

伊藤東慎(いとう・とうしん)
明治44年愛知県生
大正11年建仁寺両足院で得度。
昭和9年龍谷大学卒業。同年建仁寺僧堂に掛塔、竹田頴川老師に師事
現在、両足院住職、花園大学禅文化研究所員

昭和12年の時点では、龍谷大学を卒業して3年目、建仁寺で修行中だったようだ。原稿の内容は、

如一 白雲集[ママ] 法堂 原坦山 非時 百丈清規 普菴 普化 普寧 碧巌録 弁円 方丈 明詮 妙超 妙葩 夢中問答集 無門関 木菴 浴室 臨済宗 臨済録 臘八会 

最初は伊藤の原稿は大家の下請けかと思っていたが、幾つかの項目を確認すると、末尾に「伊藤(慎)」とあり、又、14巻の「寄稿家名鑑」(以下「名鑑」という)に「伊藤東慎 文学士。[仏教]」とあり、伊藤の名が明記されていた。面白いのは「如一」の項目は伊藤の原稿が採用されず、「奥山」(名鑑の奥山錦洞(日本書道担当)か)の原稿が採用されていた。原稿を頼む際には、項目を特定せずに禅宗関係から何十個と依頼して、他の執筆者と重複した項目は編集者が調整したのだろうか。
名鑑を見ていると、お馴染みの名前が色々あって面白かった。宗教関係では、仏教担当が17人、神道担当が4人、キリスト教担当が13人出ているが、別稿とする。他の分野では、荒木茂(ペルシア語・ペルシア文学)、斎藤昌三(挿画史)、杉浦非水(図案)、南江二郎(人形芝居・影絵芝居)、中村古峡(変態心理・迷信)、山田吉彦(ギリシア語)が目を引く。特に注目したのは、「佐藤了翁 易学専攻。満洲暦法顧問。[易]」である。満洲国と易学キター\(^o^)/という感じである。どういう人物だろうね、佐藤了翁。

上西亘「藤澤親雄の国体論ーー戦前期を中心にーー」『昭和前期の神道と社会』への補足

従来いわゆる「偽史」はトンデモ扱いされて言及する者は好事家などに限られていたが、近年立教大学偽史に関するシンポジウムが開催され、小澤実編『近代日本の偽史言説』(勉誠出版、平成29年11月)として刊行されるなど、アカデミックな研究者も参入してきた。私の好きな藤澤親雄についても、様々な観点から研究者が言及するようになってきた。國學院大學研究開発推進センター編・阪本是丸責任編集『昭和前期の神道と社会』(弘文堂、平成28年2月)所収の上西亘「藤澤親雄の国体論ーー戦前期を中心にーー」もその一例である。上西氏の肩書は、國學院大學研究開発推進機構助教である。一時期私も藤澤を追いかけていて、アンテナを張っていたが、最近は関心も薄れ、本論文に気付いたのも偶然であった。この論文が出発点にしたという、藤澤が「「理論的学問的根拠」のために古事記はもとより、内外の「超古代文献(偽書)」は動員されなければならなかつたのである」とする阪本是丸「「日本ファシズム」と神社・神道に関する素描」*1も知らなかった。
さて、上西論文は藤澤の政治思想研究の変遷をたどり、特に『世紀の預言』(偕成社昭和17年3月)に出現する「超古代文献」への言及、『公論』昭和18年5月号及び9月号上で展開された藤澤への批判及びその結果としての「偽書」への決別に注目している。上西氏は大國隆正の研究者で、「隆正の思想が藤澤の神観念や政治思想にとって非常に重要な位置を占めるものである」としていて、非常に興味深かった。
ところで、本論文もそうだが、藤澤の経歴について言及する論文はたいてい小宮山登編『創造的日本学:藤沢親雄遺稿 附諸家追悼・随想録』(日本文化連合会、昭和39年2月)の「経歴年譜抄」に依拠している。ところが、この年譜には誤りが多い。私は昔「国際人藤澤親雄がトンデモに至る道」で年譜を作ったことがあるので、上西論文中の藤澤の経歴で気付いた点を指摘しておこう。
大正14年九州帝国大学に法文学部が新設されるにあたって同大学の教授に就任→教授就任は大正13年(大正13年11月7日付け『官報』)
昭和6年同大学教授を辞し→辞職は昭和5年8月
昭和10年大東文化協会理事兼大東文化学院教授→教授就任は昭和8年(『大東文化大学五十年史』)
・(昭和18年)当時大政翼賛会東亜局長→東亜局は昭和17年に興亜局に改称。そもそも、藤澤が東亜局長又は興亜局長になった事実はないと思われる。東亜局長及び興亜局長は永井柳太郎(『翼賛国民運動史』)

*1:『研究開発推進センター紀要』6号、平成24年