神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

南洋旅行中の児童文学者久保喬から長谷川鉱平宛パラオの絵葉書

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 川村湊編『中島敦 父から子への南洋だより』(集英社、平成14年11月)の「解説 トンちゃん、南の島をゆく」は、サイパン公学校の教育に対する視点について、中島と『南洋旅行』(金の星社昭和16年12月)の久保喬(本名・隆一郎)を比較している。公学校は、島民(現地人)の子供に対する教育機関である。サイパン公学校について、中島は島民の子を人間の子として扱っているとは思えないと書いている。一方、久保は同校校長小山田庄平の教育方針に、格別の違和感も、反発も持っていなかったとする。
 この児童文学者久保が長谷川鉱平に宛てた絵葉書については、「長谷川鉱平宛久保隆一郎(久保喬の本名)葉書 - 神保町系オタオタ日記」で言及したことがある。実は、久保が南洋旅行中にサイパンパラオから長谷川に宛てた絵葉書も持っている。1枚は、昭和16年2月12日付けで、サイパンから出されている。文面は、10日にサイパンに着いたこと、前日小学校の紀元節の式を見学に行ったこと、翌日は公学校の学芸会を見に行くことなどが書かれている。
 もう1枚は、同年3月5日付けで、パラオコロール島から出されている。文面は、前日パラオへ着いたこと、途中ヤップに寄って石の貨幣を見たこと、金寿司へ早速行ったことなどが書かれている。金寿司は、坂野徹『〈島〉の科学者:パラオ熱帯生物研究所と帝国日本の南洋研究』(勁草書房、令和元年6月)にも開戦前日パラオ放送局から「パラオ熱帯生物研究所を語る」を放送した*1研究員達が局の招待を受けた寿司屋として登場している。有名な店だったようだ。しかし、我ながら色々持ってるなあ。
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*1:昭和16年11月9日付け中島たか(妻)宛中島敦書簡によれば、受信器は10ぐらいで、南洋長官や内務部長のような人の家にしかなかったという。