神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大正14年南天堂で萩原朔太郎と服部之總は出会ったか

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本郷白山にあった南天堂については、稲岡勝監修『出版文化人物事典』(日外アソシエーツ)の松岡虎王麿の項によると、

大正6年 父・寅男麿が神保町に開いた古書店が本郷白山上の五叉路北角に移り南天堂と改称、新古兼業となった店を相続
大正11年 近くのまき町通中央に3階建てを新築移転、1階新刊書店の2階を喫茶兼レストランとしたところ、アナキストダダイスト詩人で賑わい、出版記念等の会場ともなった。3階は出版部とし、「近代名著文庫」の刊行会を始め、川端康成編集『新思潮』(第六次の二)発行所となった。
大正14年 店舗は取引先の取次店・上田屋書店に明け渡された。

私も、「南天堂!」や「南天堂の経営を引き継いだ上田屋」等で南天堂を紹介したことがある。それで、ユクノキたんから、萩原朔太郎が「ラヂオ漫談」*1大正14年2月の上京後南天堂を訪問したと書いていることを教えてもらったのは、平成23年5月であった。朔太郎は東京に移ってからまもなく本郷の本屋南天堂の隣店の前で初めてラヂオを聴き、その後ラヂオを聴く目的で南天堂に紅茶を飲みに行ったという。今回、松尾章一『歴史家服部之總』中の服部の同年の日記にも南天堂を発見することができた。

(大正十四年)
二月十日 猿之助によく似た[一字あく]君と林氏と三人で南天堂。(略)
二月十七日 (略)南天堂で会食(略)
二月二十六日 九時に起きてピアノを叩き珍しく内村と一緒に出て南天堂で会食。(略)
六月十三日 (略)白山迄帰り南天堂でナマ二杯女給と話して久しぶり女と話したなと感じた悲惨である。
六月二十六日 (略)皆と南天堂二階でだべり(略)

南天堂の女給に言及されているが、寺島珠雄南天堂ー松岡虎王麿の大正・昭和ーー』(皓星社、平成11年9月)中の牧野四子吉の書簡に女給は3人いたとある。朔太郎はラヂオ目当て、服部は食事と女給目当てで南天堂2階に行っていたようだが、2人が出会うことはあっただろうか。
なお、写真の『紙片』創刊準備号*2は『南天堂』への挟み込み、担当編集者森洋介氏の作成である。寺島珠雄事務所「校正補記」と編集部「南天堂捨遺」が載っている。古本で買うときは、挟まっているか確認した上で購入しましょう。

*1:中央公論大正14年12月号

*2:その後、続かなかったらしい。