神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

坪内逍遥の日記に見る戦前の漫画秘史

逍遥の日記に漫画ネタが。

昭和5年4月7日 夜 杉本喜永来、漫画式映画にて「文福茶釜」「道灌」を製作の事を勧む

    4月8日 夜 松本、仲木、漫画家金井来、文福茶釜、道風、烏帽子折を漫画式映画ニ製作の相談

    4月10日 夕刻前 杉本来、演博にて再び漫画を見せたしといふ、食後おせき及び二婢を伴ひて赴き覧る、村田の作「蛸の骨ぬき」*1「動物マラソン*2及び外国製猿の飛行機乗等

  8年9月14日 漫画新聞社の二人来、即席に漫画像を画きて去る、近々三越にて名士漫画像展覧会を開く云々

「仲木」は仲木貞一。「杉本喜永」は、『坪内逍遥事典』によると、映画製作者で、逍遥の姉米の三女クワの子。帝国教育映画株式会社の専務取締役。逍遥作児童劇「道灌と欠皿」の映画化や影絵映画「商人と猿の群れ」の製作を行ったとされる。また、後者の映画は、逍遥の影絵の構図をもとに細木原青起が原画を作成、金井木一路が作画、帝国教育映画株式会社の製作で、昭和7年10月日比谷公会堂で上映されたとある。この金井が、「漫画家金井」に当たるのだろうか。なお、『日本アニメーション映画史』には、「坪内逍遥は自分の作品「烏帽子折と猿の群[れ]」を影絵映画化することとし、その技術を金井線画映画の金井木一路に依頼した。完成した作品は「商人と猿の群れ」として日比谷公会堂で公開された」とある。

また、「漫画新聞社」というのも不詳だが、昭和4年8月に『マンガマン』を創刊したという東京漫画新聞社と関係あるのだろうか。

(参考)金井は、『昭和十六年度版日本映画年鑑』に金井喜一郎としてあがっている。

金井喜一郎 合資会社都商会無限責任社員明治34年9月20日生。明治薬学校卒。大正6年日本最初の漫画映画創立者北山清太郎の北山漫画研究所入所、13年独立し東京線画フヰルム製作所創立。昭和7年都商会教育活動写真部と合併し、現在に至る。

                                          • -

せどり師は、外の古本市か、屋内の古本市か、どっちだらう。

九段下の昭和館で「版画に描かれたくらしと風景」展。川瀬巴水伊東深水織田一磨恩地孝四郎などなどが堪能できる。無料。5月9日まで。

*1:「蛸の骨」(昭和2年、製作・横浜シネマ商会、作画・村田安司)か。

*2:「動物オリムピック大会」(昭和3年、製作・横浜シネマ商会、作画・村田安司)か。