神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

不同舎門人田内千秋の経歴


黒岩さんの『編集者国木田独歩の時代』で、女写真師「梅子」の正体を探った章はとてもスリリングだった。ただ、独歩社で活躍し、その終焉を見届けた画家の一人田内千秋については、経歴不詳とされていた。独歩社で活躍した同じく不同舎門人である満谷国四郎や小杉未醒に比べて、美術関係の人名事典を見ても立項されていない謎の画家である。この田内の正体が長い間気になっていたのだが、オタどんがぽっくり(?)逝く前に解明することができた。

たのうちちあき 田内千秋(1862-1930) 洋画家、教育者 (略)上京して小山正太郎の不同舎に入る。想像画をよくしたので日露戦争時、親交を結んだ国木田独歩などの「戦時画報」の挿絵を担当して生活をし、41年6月から45年3月まで高崎中学校安中分校で図画教員をした。明治末年に帰郷。45年4月から県立第二中学校(安芸高校)で図画科と数学科を教えた。(略) 


出典は『高知県人名事典 新版』(高知新聞社、1999年9月)。愛媛出身の「梅子」と再会する機会はあっただろうか。

                                    • -


「椀伏せ」を見逃した。