神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

里見とんの記憶違い


里見弓享は「『白樺』創刊の頃」で次のように回想している。

(前略)『白樺』連中は、みんな小川町の文川堂というのへ持ち込んで引き取らせていたっけ。自分の家にある本ならば、文川堂の番頭を家へ呼んで来て、これだけに取れ、というような掛合いもする。


この「文川堂」だが、正しくは東條書店だったようだ。きだみのる『人生逃亡者の記録』(中公新書)によると、

このころ白樺派の活動が目立ち、里見弓享氏たちは小遣いがなくなると貸しで丸善から本を買い、これを東条書店に売っていた。(略)
この清どんは東条書店が没落すると池田書店をはじめたので、恐らくは性書の出版で名を売った池田書店の父親だ、と思っていたがこれは違っていた。彼は東条書店がつぶれた後、池田書店を経営していたがこれはうまくいかず、文川堂書店に引き取られたのだった。
これで里見弓享氏がその追想録に本を文川堂に売ってと書いていられる思い違いがわかった。東条書店がなくなったとき二人の番頭の一人は文川堂の息子、もう一人が清どんで文川堂に移ったからだ。


東條書店の閉店時期を確認する必要があるが、どうやったらわかるだろう。

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「猫間中納言の姫君」こと田中貴子先生が最後、最後といいながら結局猫猫先生の相手をしてしまうのは、愛(?)憎半ば故のことか、同情心からか不明であるが、もう一人の姫も猫猫先生について言及していた。

「全員結婚社会」が終焉した今日において、内田樹小谷野敦のような男性論者が「誰もが結婚できた(せざるを得なかった)時代」へのノスタルジーを語り、山田昌弘白河桃子が『「婚活」時代』を唱えるのは、時代錯誤であろう。  


上野千鶴子の「ニッポンのミソジニー第11回 「非モテ」のミソジニー」『scripta』2009年夏号(紀伊國屋書店のPR誌)から。この他、『帰ってきたもてない男』からの引用などもあり。