2005-12-03 『中野重治と社会主義』(石堂清倫著)から しかし福本(和夫)にとって最大の精神的打撃は彼の 熱心な支持者が揃いも揃ってマルクス主義を捨てたこ とであろう。最高の使徒水野成夫は反共主義どころか、 誰にもできない離れ業で、戦後吉田茂首相の最高ブレ ーンに納まった。新人会のリーダーの大間知篤三は 柳田国男の門下の民俗学者になり、辻政信大佐の推輓 で満州国建国大学の教授に、スーパー福本主義者の 石田英一郎は、やはり文化人類学に逃避してしまった。