神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 戦後の三角寛のもう一つの姿


下中彌三郎事典』中の「ほめよう運動」の項によると、

昭和二十九年(一九五四年)九月一日、文京区雑司ヶ谷町三七田村霊祥主唱により発足したものである。機関誌は月刊『ほめよう』を発行し、事業としては、随時各所で、講演会、座談会、音楽会、映画の会などを開いて、ほめよう精神に対する社会的関心の喚起と宣伝につとめた。主なる関係者、会長下中弥三郎、副会長大下宇陀児、同吉田敬直、理事長田村霊祥、理事白根松介、徳川夢声三角寛、挟間茂、同井口誠一、監事津守豊治、安藤豊禄、顧問一条実孝、八田嘉明などであったが、運営のよろしきを得ず、昭和三十二年五、六月以来、休止状態のまま今日に至っている。


この項目を執筆した田村については、「執筆者紹介」によると、「田村霊祥(群馬) 現職:宗教法人天真道教団道主、下中との関係:昭和二十九年「ほめよう運動」に下中氏を会長に迎え自分は理事長となる」とある。
NDL-OPACによると、田村には『田村式霊的健康法並ニ霊動療法の原理』(静心霊医学会、昭和4年)なる著作もあるみたい。

宮本常一も読んでた『魔の宴』


宮本常一 写真・日記集成』別巻によると、昭和25年6月30日の条の後に、次のようなメモがあるとのこと。

(略)太宰治田中英光の作品に心をひかれ、『チャタレイ夫人』を肯定する気持。木村艸太の『魔の宴』*1には最も心をうたれた。自らの中にある弱さに対して尚ひたぶるに夢を追う姿、それはまた私の姿でもあるようだ。併し周囲は必ずしもそうではない。もっと功利的に現実的に生きている。(略)


宮本は辰野隆の『谷崎潤一郎』も読んでいる(昨年12月2日参照)ことと、併せてとても興味深い。
日本古書通信』のリストには漏れていたけれど、今年は宮本の生誕100周年とのこと。
4月28日からの府中市郷土の森博物館(一度行ったことがあるが遠い・・・)での「宮本常一の足跡〜旅する民俗学者の遺産〜」展など各地でイベントがあるようだ。

*1:昭和25年5月30日発行。木村艸太こと、木村荘太は上梓間近の4月15日に自殺。