神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 藤澤親雄についての補遺 


  中公新書大川周明』(大塚健洋著)から


 [満鉄]東亜経済調査局は、明治41(1908)年創立の我が国初の独立した組織的な経済調査機関で、大川の入社当時、機構改革の真最中であった。彼がわずか入社二カ月後に編輯課長に抜擢されたのもそのためである。調査局は資料課と編輯課の二課で構成され、松岡均平顧問の下、主事の永雄策郎が資料課長を兼任した。主なスタッフは、佐倉重夫(庶務係主任)、和田佐一郎(新聞係主任)、藤沢親雄(雑誌係主任)、佐野学(営業報告係主任)、栗原要吉(図書係主任)、岡上守道(調査係主任)、口田康信(編輯係主任)、島野三郎というそうそうたる顔触れであった。

大槻憲二についての補遺


 『国語100年』(倉島長正著)から


 山本有三の”漢字交り文”へという考えに反論する人も出てきました。心理学者の大槻憲二もその一人でした。昭和17年に『国語の心理』を刊行して注目を集めましたが、大槻は漢字と仮名の優劣論などは意味がないとした上で、万葉仮名以来の漢字も仮名も素直に受けとめ、安易な漢字排斥に反論を加えています。そして、巧みに日本語化した漢字の実体を説明しています。


注:大槻憲二については、2月14日参照。