神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

最初の露探容疑者長田秋濤(その2)


10月9日に紹介した市島春城の日記の明治36年11月4日の条に「就寝後早川[早治]、秋濤事件ニ関し被告ニ無罪之判決を与へし始末を云々す」とあった。素直に読めば、早川という人は、権藤震二を被告とする事件で無罪判決を下した人と読めるのだが、まさか裁判官が市島の所に説明に来るわけはなかろうと思っていた。
しかし、この早川こそ、東京区裁判所判事として同判決を出した人物であった。新知見がないどころではなく、大発見かも。でも、褒めてくれそうなのは『露探』の著者である奥武則法政大学社会学部教授くらいかしら。

千里眼実験立会人達の噂話


ジョン万次郎の長男中浜東一郎の日記*1に面白い記述があった。

明治43年9月16日 (前略)午後六時より神田の宝亭にて委員会を開く。予は鎌倉より帰途、新橋より直ちに参会。小池男爵其他二十余人参会。衛生学会に残余の金を寄付する事を決議す。千里眼との評判ある婦女子の実験を、数日前神田の関根にて挙行したり。本日参会者の三宅、大沢、片山等は同試験に立会ひたるに不結果に終りたりと。同女は三宅秀氏か試験の為めに提出したる鉛管を受取りながら、之を他の鉛管と代へ、鑑定済みたりとて同女より他の鉛管を返却したり。之を験したるに全く不同の器なれは、之を取調べたるに、最初三宅か提出したる鉛管中の書は、鑑定六ケ敷ければ、他の容易に鑑定し得るものと取り代へ鑑定したりと云ふ。


千里眼実験は、明治43年9月14日大橋新太郎邸で、医学博士呉秀三、大沢謙二、片山国嘉、入沢達吉、三宅秀らも立ち会って行われた。翌日の15日は、御船千鶴子が投宿していた関根屋旅館で新聞記者立会いの下、実験。この時は科学者らの立会いはなかったとされる。中浜が神田の関根で挙行された実験に三宅らが立会ったと書いているのは、大橋邸での実験と混同しているか。

*1:『中浜東一郎日記』第3巻