2007-07-02 日本基督教団紅葉坂教会牧師としての小谷部全一郎 トンデモ 『日本基督教団紅葉坂教会六十年史』(日本基督教団紅葉坂教会、昭和29年5月)によると、 小谷部全一郎は明治32年3月牧師に就任したが、同年10月辞任。 「小谷部牧師は十余年の米国の学窓生活を終えられ、帰朝された直後、在京宣教師の推挙により来任された。然るに在任八ヶ月にして病の故に辞任されたのである」とのこと。そのまま牧師を続けていれば、無名の一牧師として生涯を終えたであろうが、トンデモ系の人物として名前が残るのとどちらが良かったのであろうか。
2007-07-02 『新世間』編輯顧問谷崎潤一郎 谷崎潤一郎 紅野敏郎ほか『展望戦後雑誌』(河出書房新社、昭和52年6月)によると、 『新世間』は、昭和22年4月1日、世間社から創刊。表紙に「編輯顧問谷崎潤一郎」とあり、創刊号は谷崎の「熱海ゆき」を巻頭に、三好達治の詩、吉井勇の短歌が続き、第2号(昭和22年5・6月号)には斎藤茂吉の短歌が掲載されているという。 6月17日に言及した谷崎責任編輯の雑誌創刊号とは、やはり細江先生が教示された『新世間』かと思われる。 日本近代文学館まで行かねば実物は見られないか。