神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

関根喜太郎と斎藤昌三


斎藤昌三の『東亜軟書考』(星光書院*1、昭和23年1月)の昭和22年6月26日付け「自序」によると、
「昨今問題の性関係号を如何に取扱ふべきか、過去の性関係の著書は如何に取扱はれたか、S君は此の問題について文献的検討をせよといふ」とある。この「S君」はやはり関根喜太郎だろうと思うが、発行者の「星光」を「せいこう」と読めば星光を指していてもおかしくない。


星光を「せいこう」と読むとすれば、関根喜太郎関根康喜(Sekine Kouki)から「Seikou」としたのかもしれないね。


追記:「古本力」(『神戸の古本力』)や「鈍感力」など、「〜力」ブームは続くが、「子宮力」という言葉には驚くね。すごいネーミング。

*1:所在地は杉並区正保町14

『ドグラ・マグラ』の校正をしていた柳田泉


夢野久作の日記』によると、

昭和10年1月10日 十二時春秋社へ行き、鈴木氏享[ママ]氏、柳田氏、喜多氏、神田父子に会ひドク[ママ]ラマグラ記念会の相談をする。後大下宇陀児君の処へ行き又相談。水谷準乾信一郎君と会ひ夕食の御馳走になる。


昭和10年1月15日 ドク[ママ]ラマグラを知人に送り手紙を書く。今日午后五時より春秋社に行く約束を忘れ六時頃まで手紙を書く。春秋社より電話にて思ひ出し夕食を喰べて走せ付け柳田泉氏に会ふ。ドク[ママ]ラマグラの校正をして呉れる人也。


あの柳田泉と同姓同名の別人かと思っていたら、あの柳田本人だった。
柳田泉「明治文学研究夜話(五十)」(『明治文学全集』月報50、昭和44年6月。『明治文学研究夜話』(<<リキエスタ>>の会))によると、

(前略)『明治文学叢刊』八巻を刊行することにした。刊行所は、馴染みの深い春秋社であるが、春秋社は内部の事情で、主として松栢館という別名で活動をしていたときであったから、ともかく松栢館刊行ということにした。


『明治文学叢刊』第1巻の『明治初期の翻訳文学』は昭和10年2月松栢館から刊行、『ドグラ・マグラ』は昭和10年1月松栢館から刊行。柳田泉が『ドグラ・マグラ』の校正をしたなんて、知ってた?