京都の「ちきりや」でやっていた「庶民列伝の会」というのには、
富士正晴、梅棹忠夫、永井道雄、多田道太郎、のちに三菱鉱山重
役になる学生の西村和義、こういう人たちがいました。おもしろ
い会合で、名古屋から上坂冬子が月に一度通ってきていました。
米子から判沢弘(日本近代思想史家)さんが来たり、長島愛生園
の患者さん、志樹逸馬が文章を書いてきて、それを代読したり、
徳島からは佃実夫(小説家)が来ていた。(中略)じつは細君の
横山貞子に会ったのはその会なんです。