
pieinthesky氏が旧Twitterで北村兼子「國際スパイの女」が載る『關西文藝』第5巻第12号(關西文藝協会、昭和4年12月)を挙げていた。この大正14年3月に創刊された雑誌については、浦西和彦・増田周子・荒井真理亜『大阪文藝雑誌総覧』(和泉書院、平成25年2月)に所蔵が確認されている分の目次が載っている*1。そのため、「北村兼子と池田威の『雑草苑』の時代ー北村兼子の関西大学特別卒業を祝してー - 神保町系オタオタ日記」で大正15年7月15日付け北村の池田威宛書簡を紹介する時に同書を通覧している。北村は同年だけでも2巻7号(同年7月)、同巻10号(同年10月)、同巻11号(同年11月)に執筆していることがわかる。更に、同巻12号(同年12月)に「秋と私」を書いた「北村景子」も正しくは北村兼子だろう。
北村と池田のその後の関係を補足しておこう。池田は大正15年2月の『雑草苑』(雑草苑発行所)創刊に続き、同年12月15日に『文藝新報』(文藝新報社)を創刊している。創刊号に「部数二万部」とあるが、所蔵する図書館・文学館は皆無か。私は、日本の古本屋でアルカディア書房から第17号(昭和3年11月)までの揃いを入手できた。
北村は、創刊号に「貞操の兇状持ち」を寄稿している。そこでは、次のような一節がある。
(略)ちよつと男と話をしても、それが直ちに情的関係でもあつたようにいひ振らして、罪もないものを兇状持ちに仕立てゝしまふ、そして造られた特種を手繰つて見れば日ごろ懇意にしてゐる男の友だちが、その材料を提供してゐるとは驚くの外はない[。]内ら\/の騒動その震源地は意外にも自分の脚もとにあつた。
(略)
大谷渡『北村兼子:炎のジャーナリスト』(東方出版、平成11年12月)第4章「セクシュアル・ハラスメントとの闘い」によると、北村は『恋の潜航』(改善社、大正15年10月)出版の頃から低俗紙・誌で「貞操問題」を取り沙汰され、堕落したというでっち上げ記事を書かれた。今も昔も出る杭、特に女性の出る杭は打たれるである。昭和2年2月改善社から刊行された『怪貞操』収録の「怪貞操」にも次のような記述がある。
(略)北村さんまたあなたの悪口を悪徳新聞が書いてゐますよと親切さうに見せてくれる、ほんとうに失敬なやつですねと口をぬぐつてゐるが、何ぞ知らん、その男こそその新聞に材料を提供した曲ものだとは、向ふの家の壊れるを見て驚く、震源地は脚もとにあるのだから更に驚く。
(略)
いまは昭和元年十二月卅一日の夜(略)
北村を売った「男の友だち」とは誰だったのだろうか。北村が勤めていた大阪朝日新聞社内にも、大正15年6月2日付け「天声人語」に北村の『竿頭の蛇』(改善社書店、大正15年5月)を取り上げ批判したN氏のような存在がいた。N氏の正体と思われる永井栄蔵*2は大正2年入社の論説委員なので、駆け出しの婦人記者である北村の「男の友だち」にはなり得ないだろう。しかし、北村を売ったのは社内の友人だった可能性は十分にある。才ある女性には厳しい時代だった。結局、北村は昭和2年7月に退職することになる。