
石川祐一「近代住宅史から見た壽岳文章邸」を聴いたのは、もう10年前のことだ*1。その後NPO法人向日庵が設立され、機関誌『向日庵』も今年3月で8号に達した。更に壽岳一家の旧宅である建物としての向日庵が国の登録有形文化財になり、現在は向日市による買上・公開へ向けて進んでいる。何とか一般公開の日まで健康でいたいものである。

中島俊郎先生に頂いた『向日庵』8号の目次を挙げておく。ありがとうございます。力作が並ぶ中、特に長野裕子「寿岳文章の蔵書記録」に注目した。「船川未乾の『エツチング頒布趣意』ー丹尾安典「未乾素描(7)」『一寸』62号への補足ー - 神保町系オタオタ日記」で言及した船川未乾が出てくるからである。長野論文では船川装幀本である伊藤熊三『感興処々』(ぐろりあ そさえて、昭和2年)同様、壽岳の『書誌学とは何か』(ぐろりあ そさえて、昭和5年)の標題紙の装画もキュビズム的な作風から船川によるもので、遺作に近い作品かと推察している。伊藤著については『一寸』連載の丹尾安典「未乾素描」にも言及されているが、壽岳著については言及されていない。重要な発見と思われる。
さて、最近不思議な小説を読んだ。中河與一『雪にとぶ鳥』(読売新聞社、昭和50年3月)で、冒頭戦時下に東京音楽学校と思われる学校に通う主人公が登場する。「船川未乾」(ルビ:ふなかわみけん)である。昭和5年に亡くなった船川未乾(ふなかわみかん)とはまったく経歴が異なる設定である。ただ、小説では再婚相手として考える女性の名前が咲子で、これは実際の船川の妻と同じ名前である。その他は、船川の生涯と小説の内容で一致する点は無いと思われる。わざわざ「船川未乾」という珍しい名前を使った理由は分からない。
問題は、船川と中河の関係である。『一寸』64号(書痴同人、平成27年11月)の丹尾安典「未乾素描(9)」によると、中河は『手帖』(文藝春秋社、昭和2年3月~11月)の同人で、船川の線描画〈女の素描〉が最終号に掲載されているという。中河が船川と面識があったのかは不明だが、船川の噂を聴く機会はあり得たわけである。『雪にとぶ鳥』の中に見る人が見れば分かる仕掛けが隠されているのかもしれない。