
4月30日書物蔵氏一行が昼頃到着というので、朝から四天王寺古本まつりの会場で待機。今回は、これまでシルヴァン書房のテント内に間借り?していた寸葉さんがめでたく独立して出店している。趣味人の絵葉書の箱は既に見ていたので、この日は広告の箱をチェック。一度に見ると疲れちゃうので、日を変えてチビチビと見るのであった。そうすると、何とまあ差出人に「山田珠樹」の名前が。同姓同名かもと思いきや、通信欄に巴里にて御来遊を待つとあり、森茉莉と結婚後フランスへ留学した山田珠樹と同定してよさそうだと購入。600円。売主の寸葉さんや常連の絵葉書蒐集家は当然ながら裏面の絵の方に注目し、表面の差出人や受取人にはあまり注目しないのだろう。おかげで、開会5日目でも貴重な葉書を安く買えることができた。
消印は大正10年4月6日付けと思われ、宛先は京都市上京区梨木神社北の小島勇之助である。また、珠樹の署名の前に「四月六日/下ノ関ニテ」とある。小島(明治22年生)については、Wikipediaに立項されているのでそれを見られたい。郵趣家として有名な人であった。そう言えば、昨年11月23日京都新聞に小島の名前が出ていた。蒐集家ラップナウ氏が入手した日比谷焼き打ち事件(明治38年)の様子を伝える革製絵葉書の宛先が「児嶌勇之介」宛で、寸葉さんこと矢原章さんが正しくは小島勇之助ではないかと推察しているとの記事(国貞仁志記者)であった。
珠樹と小島は、親戚であった。珠樹の父は山田暘朔といい、妻せい(明治32年生)は小島の父山中隣之助の養女であった。甥と伯父の関係になる。普段から交流があったのだろう。
葉書の文面には、神戸出帆の際に見送されたことへの謝辞が述べられている。鴎外の日記によれば、4月1日に東京駅で珠樹を見送っているので、神戸から出港するまで各地で送別会が開催されたことだろう。葉書の裏面は日本郵船の北野丸の絵なので、この船でフランスへ向かったと思われる。珠樹については、まだ評伝が書かれていないと思われる。どなたか、挑戦してほしいものである。
なお、タイトルは正確には「山田茉莉を残して」とすべきだが、「森茉莉を残して」とした。
参考:珠樹が渡欧後「浮気」していたことについては、「山田珠樹と辰野隆のつかのまの火遊び - 神保町系オタオタ日記」参照