神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

創業410周年の永楽屋細辻伊兵衛商店と十二世芭蕉堂こと岩井藍水


 細辻伊兵衛美術館で、永楽屋創業410周年記念特別展として「日本最古の綿布商が染めた京都」を開催中。10月23日まで。これはまだ観ていない。この前にやっていた「恋するテヌグイ」は観ている。車上の二人を描いたテヌグイ、10世細辻伊兵衛《ドライブ》(昭和9年)は、戦前のわたせせいぞうですね。

 美術館の2階に400年の歴史における代々の当主について年表がある。この中に、江馬務が出ていた。8世が「幕末流行った意匠手拭などに関心のあった風俗史家江馬務と永楽屋との結びつきをつけ」、10世が「画家中島荘陽、江馬務など文化人の支援も行っ」たという。「永楽屋細辻伊兵衛商店が発行していた講演集に江馬務ー細辻伊兵衛美術館では「ダンス、ダンス、ダンス!」展ー - 神保町系オタオタ日記」で言及した江馬『講演10:木綿と染木綿の史的研究』(細辻商店、大正11年10月)は、10世の当主期間中(大正6年~昭和18年)の発行である。
 厚生書店からは、もう1冊細辻商店発行の冊子を入手している。冒頭に書影を挙げた岩井藍水『講演14:義士会に就て』(細辻商店、大正12年10月)である。藍水は、「十二世芭蕉堂」を名乗った京都の俳人である。同書によれば、藍水が明治34年12月14日に始めた義士会が京都市での「義士会の創め」だという。以前は藍水の生没年は不詳とされていて、大阪府立中央図書館のレファレンス回答「岩井藍水についての資料、肖像画を探している。岩井藍水は近世、京都で活躍した俳人。 | レファレンス協同データベース」(平成23年10月10日作成)でも苦労されている。しかし、今では例えば国会図書館の典拠データ「岩井, 藍水, 1865-1958 - Web NDL Authorities」に生没年が記されている(生没年追加は令和6年4月9日)。もっとも、大阪府立中央図書館が回答した時期でも『著作権台帳』を見れば昭和33年没は解明できただろう。
 藍水は南木芳太郎主宰の雑誌『上方』に95号・96号(創元社昭和13年11・12月)の「冠婚葬祭の略述(一)(二)」など度々寄稿した人物でもある。また、「昭和24年『山鉾大鑑』のノートを残して消えた風俗研究会幹事の若原史明 - 神保町系オタオタ日記」でも言及したとおり福田與が参加した江馬の風俗研究会の幹事若原史明の師匠でもあった。そのためか、福田『歌集草の花』(初音書房、昭和37年7月)の「あとがき」中の師友没日一覧に「岩井藍水 三三、三、六」とある。