
数年前に知恩寺秋の古本まつりでキクオ書店の和本均一台に、明治期の法学関係の受講ノートらしき物が数冊出ていた。写真を挙げた表紙に「英国私犯法講義」とある物がそのうちの1冊で、買った理由がよく分からない。1冊200円3冊500円だったので、2冊400円で止めずに3冊目として選んだのかもしれない。いずれにしても、「司法大臣伯爵山田顕義殿」という記入に惹かれたのだろう。山田は、初代司法大臣である。
ただし、司法大臣に提出された原本であれば何かしら痕跡がありそうだが、そのようなものはない。また、当該記入は袋綴じの背表紙に当たり、別の大臣宛提出用の反古を袋綴じ用に使っただけかもしれない*1。
表紙には、「法学士山田喜之助先生」、「学生/寺村久吉」ともある。調べてみると、前者の喜之助は法政大学の前身東京法学校の教師、後者の寺村は同校の生徒であった。法政大学百年史編纂委員会編『法政大学百年史』(法政大学、昭和55年12月)89頁によると、喜之助(安政6-大正2)は、明治14年東京大学卒の法学士で代言人として活躍したほか、東京専門学校や英吉利法律学校の創設に参加。東京法学校には明治17年以来出講した。同年に英国会社法担当(58頁)、明治20年に憲法担当(84頁)が確認できる。また、国会図書館デジタルコレクションで読める喜之助の翻訳書『英国私犯法』(九春社印書課、明治16年4月)と比較すると、同書にある「緒言」が無いことのほかは、内容はほぼ同じのようだ。ただし、正誤表で訂正されている部分は正しい記述になっていたり、誤ったままになっていたりチグハグである。いずれにしても、受講ノートというよりも、『英国私犯法』の写本だろうということになる。
一方、寺村は、前掲『法政大学百年史』85頁に、明治20年9月4日付けで東京法学校から同年の卒業者名と貫属が帝国大学を通して文部省に届けられ及第証書の授与が許された24人の9番目に「寺村久吉(滋賀・平)」と見える。当時は、東京法学校を含む5大法律学校が帝国大学総長の監督下にある時代であった。寺村が滋賀県出身ということで、同県にある実家から京都の古書市場に旧蔵品が出たのだろうか。
寺村に関する情報は、ほとんどない。法政大学史資料委員会編『法律学の夜明けと法政大学』(法政大学、平成5年3月)に明治20年4月に創刊された『法学速成雑誌』(法学速成雑誌社)の編集人として名前があるくらいだ。この雑誌と本写本が関係があるのかないのか。5年後の令和12(2030)年に創立150周年を迎える法政大学。大学史の研究者ならこの史料の意味が分かるだろうか。