神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

昭和21年詩を朗読する臼井喜之介と製本所真英社(真柄真吉創立)


 昨年10月京都新聞に「ウは「京都」のウ」ファイル30「“京都”をつくった男」が掲載された(樺山聡記者)。遺族が所蔵する臼井喜之介(臼井書房・白川書院の創立者)の日記を活用したものであった。また、私が「『書物礼讃』を印刷した唐舟屋印刷所の堀尾幸太郎・緋紗子兄妹ーー高橋輝次『古本こぼれ話〈巻外追記集〉』への更なる追記ーー - 神保町系オタオタ日記」などで紹介した唐舟屋印刷所(現からふね屋)の創業者の妹堀尾緋紗子と夢野久作との関わりについても大きく取り上げていた*1。書評以外で夢野が京都の新聞に載るのは珍しいだろう。
 さて、日記は昭和4年から13年までのもので戦中・戦後の分は残ってはいないようだ。昭和21年分があれば見たかった。というのも、「京都時代の金尾文淵堂と製本所真英社 - 神保町系オタオタ日記」で紹介した真英社製本所の社内誌『新影』第1巻第2号(昭和21年11月)に同年11月2日成田*2宅で開かれたレコードコンサートに集まった臼井ら若人集団の寄せ書きや式次第が載っていて、その日の様子が日記に書かれていると思われるからである。臼井は自作の「茶房風景」など4編を朗読したようだ。

 真英社製本所の創立者は真柄真吉と言って、金沢文圃閣から復刻*3された『製本業者名鑑』(製本界社、昭和13年7月)の「附経歴写真鑑」から経歴を要約しておこう。

真柄真吉
出身地 福井県武生
創業 明治37年
京都製本界における王座を占める。
明治36年東京で製本業を修め、修業僅か1年で37年東京芝で開業。
大正6年帝国地方業勢学会印刷部と合併し、11年京都に移住。内外出版部*4の製本を一手に引き受けた。
昭和6年組合長の重職に就き、12年再選。

 また、『50年の歩み:京都紙截同盟より京都府製本工業組合まで』(京都府製本工業組合、昭和48年9月)の宮川一男「組合創立五十周年の回顧と私」によれば、真吉は昭和20年7月22日死去。同書の座談会で宮川は息子も戦死され、弟*5がやっていたが、中村計理士へ養子にいっていた人で全然製本のことは分からなかったとも発言している。確かに、『新影』の奥付を見ると、編輯人・印刷人は中村静雄となっている。
 

*1:現在も続く臼井喜之介が創刊した雑誌『京都』(白川書院)の印刷を一時期からふね屋が行っていた関係である。「からふね屋印刷所の堀尾幸太郎と白川書院の臼井喜之介 - 神保町系オタオタ日記」参照

*2:『新影』第1巻第2号(真英社製本所、昭和21年11月)の木村義雄「誠実」に「内外印刷の成田氏」とある。

*3:『近代製本関係人物事典:製本業者・社の歴史第2巻』(金沢文圃閣、平成29年5月)

*4:正しくは内外出版印刷。 京都帝国大学の学知を支えた須磨勘兵衛の内外出版印刷ー井上書店の追悼にー - 神保町系オタオタ日記」参照

*5:真柄真吉の弟とも読めるが、『新影』第1巻第1号(真英社製本所、昭和21年10月)の中村静雄「新影になる迄」に「父を十万億土に送り敗戦を喫した昨年」とあり、「息子」(長男真柄清)の弟である。