神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『吉田忠商報 きもの』(吉田忠商店)にいつか出会えるかーー上田文「国画創作協会のパトロン吉田忠三郎」を読んでーー


 吉田忠商店が発行していた『吉田忠商報 きもの』について、「『京都吉田忠商報 きもの』へ寄稿した作家・詩人達ー大阪高島屋の今竹七郎と吉忠の上田葆の時代ー - 神保町系オタオタ日記」で言及したところである。その時は気付かなかった文献として、『日本近代文学館年誌:資料探索6』(日本近代文学館、平成22年10月)所収の和田博文氏によるエッセイ「京都のファッション誌『きもの』(吉田忠商店)と文化人」がある。和田氏は、昭和14年3月号と同年4月号の2冊だけ確認できたとして、内容を紹介している*1
 昭和14年3月号の寄稿者としては、深尾須磨子、美川きよ、森田たま、ささきふさ、外山卯三郎を挙げている。また、同年に吉田忠商店が開催した第5回茂すそ会に堀口大学の詩にちなんだ訪問着が展示され、吉田謙吉が展示装置を担当したともある。更に、氏は同誌に関わったと推定される文化人の多さに注目している。その例として、同号(第189号)の「祈皇軍武運長久」にサインした文化人は、石井漠、岩田専太郎宇野千代尾崎士郎川路柳虹邦枝完二、佐藤惣之介、東郷青児土岐善麿長田幹彦、中村正常、新居格、野口雨情、林芙美子深田久弥吉井勇など20人を越[ママ]えるとした。
 私も同誌に関与した文化人を前記投稿で言及した。和田氏が挙げた文化人とは、宇野、邦枝、深尾、吉井、吉田が重なっている。和田氏は、エッセイの最後で京都商工会議所吉田忠商店の消息を問い合わせ、『きもの』の探索をお願いして、幻の雑誌の出現を期待していると書いている。しかし、この続報が不明であった。
 ところが、最近出た並木誠士編『近代京都の美術工芸Ⅱ』(思文閣出版、令和6年7月)の上田文「国画創作協会のパトロン吉田忠三郎ーー大正期の京都画壇へのパトロネージをめぐって」にそれに代わる情報が出ていた。上田氏は、吉田忠商店を引き継ぐ吉忠株式会社の現社長吉田忠嗣氏からも話を聞いた上で、初代社長吉田茂八や第二代社長忠三郎が蒐集したコレクションは第二次世界大戦後の窮状を乗り越えるためにほとんど売却され、また同じ頃、蔵に泥棒が入り、所蔵品の大多数が失われたとしている。横浜の著名なコレクター原三渓と並び称されたほどの絵画のコレクションが失われているので、商報のような雑誌はとても保存されていなそうである。
 旧Twitter情報では、藤田加奈子氏が昭和13年3月号と同年12月号を入手されている。いつか私も残り少ない古本人生の中で入手する日が来るであろうか。

*1:和田博文氏はこのエッセイの冒頭で半年前からモダン都市の女性文化(ファッション・髪型・化粧など)をテーマにした本を書き下ろしているとしているが、この本は刊行されたのだろうか。