斎藤光先生から『『変態性慾』解説・総目次』(不二出版、平成14年10月)をいただきました。ありがとうございます。
解説の斎藤「学術的と壊乱的の間ーー『変態性慾』と田中香涯」中で、『変態心理』11巻6号(日本精神医学会、大正12年6月)の「編集室日誌」から内務省警保局図書課と『変態性慾』(同会)の内容をめぐるやり取りをした部分の引用が面白いので、一部を孫引きしてみよう。
四月廿五日(水) 午後、「変態性慾」五月号に関する諒解を得るため、主幹内務省警保局図書課へ出頭す。
(略)
三十日(月) 川崎記者内務省へ出頭す。「変態性慾」五月号の削除抹殺個所の指定を受けるため。
五月一日(火) 本日より六日まで、「変態性慾」五月号の二頁切取り、約四十行に亘る抹殺のため、社員一同昼夜兼行。
(略)
六日(日) 本日漸く抹殺の仕事終る。編輯室印刷用インキで汚れること夥し。・・・・・・田中香涯氏・・・・・・より左の葉書来る。
(略)
七日(月) 「変態性慾」五月号発送。
八日(火) 「変態性慾」抹殺の騒ぎ漸く一段落を告げると間もなく、本日「変態性慾」五月号発売禁止さる。噫、天なるかなとでも申しておくべきか。呵々。
十五日(火) 午後、川崎記者内務省へ出頭、「変態性慾」六月号校正の一部の内検閲を乞ふ。
(略)
『変態性慾』2巻5号は、総目次によれば大正12年5月1日発行である。印刷日及び内務省への納本日が不明だが、発行日の3日前までとされる納本後に一部削除を命じられ、大慌てで2頁分を切り取った顛末が分かる好史料である。
内務省の指示通りに一部削除したにもかかわらず、発売禁止という驚天動地の事態に直面した編集部の様子がうかがえる史料でもある。ところで、発売禁止とされた『変態性慾』だが、斎藤昌三編『現代筆禍文献大年表』(粋古堂書店発行・書物展望社発売、昭和7年11月)の大正12年雑誌の部5月に記載されていない。『変態心理』11巻5号(日本精神医学会)は、挙がっている。斎藤自身が、「自序」で「新聞紙と雑部に於ては一、二年の不完全を余儀なくした所もあつたのは遺憾でもあり、研究家には相済まぬと思つてゐる。だがその他は大体に於て要は尽したと信じてゐる」と書いていて、新聞紙と雑部以外の図書や雑誌についても網羅的なものではなく、「大体」と認めている。このように発禁本の全貌を把握するためには、「日本発禁本大事典の必要性 - 神保町系オタオタ日記」で言及したように『日本発禁本大事典』の作成が期待されるところである。
発禁本というと、この人。城市郎である。最近『発禁本:明治・大正・昭和・平成:城市郎コレクション』(平凡社、平成11年7月)の増補改訂版が発行されたところでもある。『発禁本Ⅱ:地下本の世界』(平凡社、平成13年6月)を見ると、『変態性慾』2巻合本(大正12年1月~6月)の書影が載っている。発行は大正13年3月である。これを見て、驚いた。発禁になったはずの大正12年5月号を含めて合冊になっているのか。同号が発禁になったとか、欠号との記載もない。この合冊は、『明治大学図書館所蔵城市郎文庫目録』(明治大学図書館、平成29年3月)で一般雑誌の部に分類され、「2(1-6)」と表記されている。発禁になった号を含めて合冊にして販売することはできないから、前記「編輾室日誌」大正12年5月8日の条で発売禁止とされた5月号は『変態性慾』ではなく、『変態心理』の誤植ではないだろうか。そう解すると、『現代筆禍文献大年表』に『変態心理』だけが記載されていることとも整合する。