神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

昭和13年の日記に挟まっていたトンデモないお宝ーー中華民国維新政府の成立を伝える『南京民報』号外ーー


 一時期「痕跡本」が話題になった。提唱したのは、古沢和宏『痕跡本のすすめ』(太田出版平成24年2月)である。書き込み、破れ、挟み込み、貼り込み、破り取りなど、前の所有者の「痕跡」が残された本のことである。よくある痕跡としては、書き込み(傍線、誤植の訂正、落書き、所蔵者の氏名、蔵書印など)、挟み込み(葉書、切符、入場券の半券、領収書、イチョウの葉、新聞特に訃報欄、現金など)かな。
 ありがたくない痕跡がほとんどだが、著名人のサイン・蔵書印・書き込みや著名人からの葉書・手紙、珍しい絵葉書、現金などはありがたい痕跡ですね。古沢氏の真骨頂は通常ありがたくないと思われる痕跡に対して独自の視点から物語を構築していることである。これは誰にでもできることではなく、真似して痕跡だらけの本を集めても、いざ処分しようとする時にトホホということになる場合が多いので注意。
 私が数ヶ月前に骨董市で買った昭和13年の日記も痕跡本であった。日記帳なので書き込みがあるのは当然だが、挟まっていた新聞には驚いた。写真に挙げた『南京民報』(南京民報社)の3月28日付け号外である*1
 記事の内容は、中華民国維新政府の誕生を伝えるもので、後半には梁鴻志、温宗堯、陳則民、王子惠、任援道、陳錦濤など主要閣僚の名前が出ている。同政府の誕生は、南京陥落後の昭和13年3月28日。挟まっていた場所も、日記の同月27日と28日の頁の間である。
 日記の筆者は岐阜県に住んでいて、どうやって入手したのか疑問に思うところである。これは、3月28日の記述である程度推測できた。江南の地で活躍している藤田某からの同日に届いたと思われる手紙に「山田隊も音にきこえた○○方面へ移動せんとしてゐるとの事でこの御便がつくころにはその○○の目的地へ着いてゐる」とあるが、「○○」とは「南京だろう」と推測している。その後の日記の「受信」欄にもこの藤田某の名前があるので、おそらく南京で号外を入手した藤田某が後日送ってきて、日記の筆者は3月28日の頁に挟み込んだのだろう。
 『南京民報』については、「次世代デジタルライブラリー」で読める『昭和十六年版日本新聞年鑑』(新聞研究所、昭和15年12月)の『南京新報』(華文)の紹介中に言及がある。同紙は民国27年8月1日『南京民報』として発行、維新新政府の新聞政策確定と共にその機関紙として改組され『南京新報』と改称したという。ここで問題は、民国27年は昭和13年に当たることである。昭和13年8月創刊では、同年3月に号外を出した『南京民報』とは別の新聞ということになる。この辺りは中国における華文紙の発行状況に詳しい人の御教示を得たいものである。いずれにしても、日本国内には残っていそうもないお宝の号外、近く神保町で開催される某一箱古本市にこっそり出すかもしれないので、お楽しみに(^_^)

*1:縦17cm、横23cm。正確な長方形ではない。裁断機ではなく、ハサミで切ったと思われる。