オリオン・クラウタウ編『村上専精と日本近代仏教』(法藏館、令和3年2月)では、複数の論者が村上『仏教統一論第一編大綱論』(金港堂、明治34年7月。以下単に『仏教統一論』という。)及び境野黄洋「仏教統一論を読みて」(以下「批評」という。)収録の『仏教統一論第一編大綱論批評集』(金港堂、明治34年12月)に言及している。先日の平安神宮古本まつりで不死鳥BOOKSの200円均一箱から、その境野旧蔵の『仏教統一論』を発見して驚いた。しかも、多くの書き込みがあった。
この書き込みも、境野による可能性がある。境野の「批評」では、村上による大乗の三法印と小乗の三法印の混雑を批判して、次のように述べられている。
(略)大乗の三法印と小乗の三法印とを混雑して述べたるがため、小乗の三法印の所にて直に無我即大我、涅槃寂静は直ちに実在を暗示するものの如く説きたる所もありて、 二五四頁等 其の混雑一方ならず。(略)
『仏教統一論』254頁の書き込みには、次のようにある。
また、289頁にも混雑を指摘する書き込みがある。
一方、「批評」には『仏教統一論』を高く評価する記述もある。
(略)余は博士の四諦十二因縁と三法印とを以て仏教の歴史的発達を叙したるは確に一新見なりと信じ、其の他大乗論も博士苦心の跡見るべきものあり、且つ釈迦は人なりと□言し、報身仏の理想なりと論じたるが如き甚だ痛快の感あり、なほ三身の発達論 四五二頁 も、実に興味ある叙述にして、甚だ有益なるものなりし(略)
『仏教統一論』452頁の書き込みには、「此の二方面ハ確に一新見なり」とある。
143頁には、四諦十二因縁と三法印に注目した書き込みがある。
このように境野による書き込みではないかと思われるが、境野の筆跡を確認できる研究者はいるだろうか。