神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

皇道世界政治研究所の賛成者佐藤鐵太郎海軍中将が会長を務めた財団法人奉仕会の機関誌『奉仕の友』


 『奉仕の友』114号(財団法人奉仕会、昭和17年3月)。これも平安蚤の市でナンブ寛永氏の200円均一箱から入手。数冊あったが、会長の佐藤鐵太郎海軍中将の追悼記事が載る本号だけ購入。追悼文としては、佐藤と海軍兵学校で同期だった鈴木貫太郎海軍大将・男爵や副会長の若王子文健男爵の一文が載る。その他の記事は、栗原美能留(大政翼賛会壮年団総務)「我れは獅子の子なり」や小山亮清(陸軍航空本部部員・陸軍中尉・工学博士)「空中戦と列国空軍」などである。
 佐藤の名前は、「ここにも市河彦太郎の影が・・・ - 神保町系オタオタ日記」で言及していて、天津教の外郭団体とされる皇道世界政治研究所の関係者の一人として記憶していた。同研究所の発起人及び設立趣意への賛成者の名簿は、国会図書館デジコレで読める中島今朝吾『皇道世界政治の提唱』(皇道世界政治研究所、昭和17年12月)に掲載されている。それで本号の裏表紙に載る財団法人奉仕会の役員名簿と付きあわせると、理事の三室戸敬光が研究所の発起人、顧問の水野練太郎と柳原義光が賛成者であったと分かる。もっとも、本号を見る限りは特に天津教色はない。あくまで財団法人という公益法人である以上特定の、しかも検挙歴のある宗教団体に傾倒することはあり得ないだろう。

 財団法人奉仕会は、石川泰志『佐藤鐵太郎中将伝』(原書房、平成12年7月)448頁によると、「教育勅語ト。[ママ]戊申詔書ヲ奉體シ、我肇國ノ本義ヲ明徴ナラシメ、敬神崇租ノ國風ヲ助長シ、質質剛健ナル國民生活ヲ確立シテ、一億奉仕ヲ以テ 皇國ノ興隆ニ貢献セントスル」目的で大正10年に創立され、佐藤は14年12月に会長に就任している。本号には各区役所との共催による決戦体制下指導者講座に関する記事も載る。ただし、極端な国家主義的団体ではなかったようで、戦後公職追放の対象となる団体には指定されていない。
 もっとも、役員の一部は個別の事由により、「公職追放に関する覚書該当者名簿」に名前が挙がっている。例えば、三室戸敬光(時局協議会世話人)、小笠原長生(正規海軍将校)、柳原義光(時局協議会世話人)、荒木貞夫(文相正規陸軍将校戦犯)、水野練太郎(大日本興亜同盟副総裁)、鈴木貫太郎(正規海軍将校)、関屋龍吉(国民精神文化研究所々長社会教育会常務理事著書)などである。今泉定助は昭和19年に亡くなっているので本来は公職追放になり得ないが、なぜか「時局協議会客員」該当として名前がある*1
 佐藤は昭和17年3月4日没。石川著にも葬儀の写真が出ていないので、本号から転載しておこう。焼香者の中には、頭山満の名前もある。

 

*1:死者への行政処分は無効なので、法的には公職追放になっていないと言うべきである。