神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大阪パック社が製作した知られざる大阪商船の漫画による乗船案内『商船パック』2号(明治44年)ーー大橋眞由美「住吉大社「御文庫」を通してみた、輝文館の出版物」への補足ーー

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 『商船パック』2号(大阪商船株式会社運輸課、明治44年5月)という全頁カラー(2色刷を含む)の小冊子が手元にある。非売品、15頁、横13.5cm×縦19cm。編輯兼発行人は堀啓次郎、印刷人は大阪パック社の長尾倉吉。堀は、当時大阪商船の副社長。長尾は、当時漫画雑誌『大阪パック』(大阪パック社発行、輝文館発売)の編輯兼発行人である。『商船パック』は、大阪パック社が印刷しただけではなく実質的に製作したと見てよいだろう。
 内容は、漫画を利用した乗船案内である。ただ、写真を挙げたようにくだけ過ぎた内容で実用的な乗船案内というよりは一種の漫画本・絵本になっている。乗船客に配ったと思われるが、長い航海中に格好の読み物になったかもしれない。
 大阪パック社と輝文館は、同住所(明治44年当時は大阪市東区備後町4丁目)で代表者も共に植田熊太郎である。この2社については、大橋眞由美「住吉大社「御文庫」を通してみた、輝文館の出版物ーー『大阪パック』、『赤雑誌』、および絵本」『出版研究』20号、平成23年3月がある。大橋論文によると、輝文館発行の「少年絵噺」として『電車パック』、『ポンチ集』『動物園』『姫鏡』『汽車パック』などがあった。同論文は、このうち住吉大社御文庫が所蔵する『電車パック』(明治43年10月*1)を紹介してくれている。

「はしがき」には,次のように記されている.

 田舎から出た杢蔵氏が/始めて電車といふものに/乗つていろ\/と失敗る/電車パックのはじまり/\//停留所でもない途中から/オーイと乗せてくれと/声を枯らす*2

 この後,杢蔵氏は,電車を追いかけるが,追いつけず,「俺が田舎者だで馬鹿にしくさる」と路上に倒れる.切符を購入するも,高いと値切り,電車に乗り込んだものの,タバコをふかしたりして車掌に叱られる.(略)
 この絵本は,田舎から大阪に出てきた杢蔵氏の電車にまつわるとんちんかんを描いており,前述した『大阪パック』第3年2号の「杢十と田子内」の大阪見物とよく似た内容の漫画表現の絵本である.ただしここでは,コマは使用されているが,吹き出しは本文中に使用されていない.

 『商船パック』と『電車パック』が、同じ路線の「漫画表現の絵本」と分かる。『電車パック』や『汽車パック』(現存は未確認)の延長線上に『商船パック』は作られたのだろう。ただし、大橋論文は『電車パック』について、「少年絵噺」の一書であり子ども用メディアであることは確かだが、その漫画特有の面白さは子ども向きというよりも、大人向きのように感じるとしている。最初から大人向けに書かれた漫画である『商船パック』とは、その点が異なっている。
 この『商船パック』2号の漫画家は不明。『漫画雑誌博物館8』(国書刊行会、昭和61年9月)の清水勲「日本一の長寿雑誌『大阪パック』」によれば、『大阪パック』で明治41年から始まった「漫画入り川柳」欄は同誌の売り物になり、担当したのは広瀬勝平と小寺鳩甫だという。この2人のどちらかだろうと思って、それをまとめた『明治大正時事川柳』(輝文館、大正15年2月)を見たが、同定はできなかった。決め手になるサインはないので、専門家に作風から判断していただきたいものである。
 Twitterでこれを善行堂の一箱古本市に出そうとしていた1冊でどこにも残ってないと書いた。そうしたら、骨董屋のナンブ寛永氏(@kan_ei_sen)が同誌(明治43年10月)を所蔵している旨反応があった。1号との記載はないが、2号の前号に当たるのだろう。どこにもないだろうと思っていたら、図書館に無くても古本屋や骨董屋がまだまだ所蔵しているかもしれない、畏るべし。現在では官公庁までもが漫画を使った案内書・手引書を作成するのが当たり前になっている。『商船パック』はそうした漫画を使った案内書・手引書としては、最初期のものかもしれない。
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*1:大橋氏は、初版は明治41年と推定している。

*2:ルビは省略した。