これもオタどんの一箱古本市に出たかもしれない一冊。南坊城志乃夫・堀池もろは編『鈴蘭詩集第一輯』(鈴蘭草舎、大正13年11月)。146頁、頒価40銭。どこの図書館にも無いようだ。発行者は京都市上京区の鈴木覚太郎で、発行所である鈴蘭草舎の所在地も鈴木の住所と同一である。大正13年11月付けの「序」によれば、『鈴蘭』が創立1周年を迎え、12輯までに発表した詩のみを選んだものだという。編者の2人南坊城・堀池や発行者鈴木(号夢泉)は不詳。少なくとも三高や京大の卒業生ではないようだ。
そもそも『鈴蘭』は、よくある学校の友人が集まった同人誌ではなさそうである。詩の部の最後に載るのは、石川虎吉の「民謡 護謨山トアンの歌」で、これは大正9年蘭領東印度スマトラのシトロワ園で単身働く石川が故郷を想う歌である。また、童謡の部には荒井竜男(13才)の「れんげ草」も載っている。相当幅広い投稿者を有している。詩の部の投稿者をざっと数えると35人である。「序」に「詩のみを更に選」んだとあるので詩誌と言ってよいのか疑問ではあるが、ここでは詩を中心とした雑誌とみておこう。
大正期における京都詩壇については、河野仁昭『京都の大正文学:蘇った創造力』(白川書院、平成21年11月)に記述がある。河野は、京都詩人協会編『京都詩集一九二七年版』(京都詩人協会、昭和2年12月)の「最近京都詩壇及び本協会会員の主なる創作年譜」に基づき、京都で大正時代最初に創刊された同人詩誌は岩井信実(掬月)の『堝坩』(大正7年10月)で、大正15年までに32誌の同人詩誌が創刊されたとしている。この32誌の中には、『鈴蘭』は含まれていない。また、詳細な志賀英夫『戦前の詩誌・半世紀の年譜』(詩画工房、平成14年1月)にも『鈴蘭』は記載されていない。同時期に京都詩壇で活動していた南江二郎や天野隆一らと交流は無かったのだろうか。唯一『鈴蘭』の実在が確認できそうなのは、和田博文監修・外村彰編『京都のモダニズムI』(ゆまに書房、平成25年4月)で復刻された『轟轟』3年2号(轟轟社、昭和2年5月)の「受贈雑誌(二月以降)」欄に「鈴蘭」とあることである。これが鈴蘭草舎のものだとすると、昭和2年までは続いていたことになる。もっとも、これは志賀著に挙がっている大正14年に富山で創刊された同名の詩誌の可能性がある。
河野は、平成24年没。赤尾照文堂だったか青空古本まつりに旧蔵書が出て賑わったことがあった。河野なら発行者や投稿者名を見れば、何か気付くことがあったかもしれない。
最後に一編詩集から引用しておこう。
月明の夜に蕩児のうたへる みち麿
月よ、星よ、
秋の晴夜にみなぎれる
澄渡りたる精気よ、
万象はなべて
ひれ伏し
その抱擁の中に
あほ白く
すゝりなく。われも・・・・・・・、
言はうやうなき此の蕩児よ
こころ目覚めて
彼の世を思ひ
腐乱せる己が
たましひを思ひ
永却の叡智と
恩愛のみなぎりと
叛逆の罪とを思ふ時
やつれし頬に涙落ちたり。
月よ、星よ、
無心に輝けるか
もろ/\の精気よ
などて吾を鞭たざる
月澄めど
星満点にきらめけど
牧者の笛は野を越へ
あほざめし湖の波に咽べど
吾心 遂に闇なり
(略)