神保町系オタオタ日記

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龍谷大学予科英語講師壽岳文章がホイットマンの詩を贈った梅原眞隆の個人雑誌『道』

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 梅原眞隆の個人雑誌『道』は、昭和8年9月100号に達した。101号以降にそれを祝した会員からの書簡等が記載された。その中に壽岳文章の名前があって、目を惹いた。104号、昭和9年1月の「随喜(本誌)百號記念」欄である。大西良慶、相馬御風、多田鼎らが和歌、俳句や漢詩を贈る中、壽岳はホイットマンの「大道の歌」の一節を引いている。

さあ行かう!道は我々の前にある!心配はいらぬーー私がそれをためしてみた、わたしのこの足がそれを十分にためしてみたーーはぐれるなよ。

 壽岳は、昭和6年1月から7年12月まで柳宗悦と共に雑誌『ブレイクとホヰットマン』を24冊刊行していた。梅原の誌名『道』にかけて、エールを送ったのだろう。壽岳と梅原の関係は、『壽岳文章書物論集成』(沖積舎、平成元年7月)の年譜に昭和3年4月「龍谷大学にも出講」とあるので、その時からだろうか。壽岳は予科の英語講師で、梅原は文学部教授であった*1。後に壽岳と共に『和紙談叢』(昭和12年2月)や『和紙研究』(14年1月~)の創立メンバーとなる禿氏祐祥も文学部教授であった。
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*1:龍谷大学一覧:昭和三年七月現在』(龍谷大学、昭和三年八月)で確認