神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

平安神宮前の古本市で見つけた大正13年京都帝国大学工学部土木工学科入学生(?)のアルバムを調べた

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 6月にあった平安神宮前の古本市でシルヴァン書房の300円均一台に傷んだ戦前のアルバムを発見。表紙・裏表紙がなく、写真もかなり剥がされていた。元々アルバムは買ったことがないし、状態も悪いので迷ったが、旧蔵者が京都帝国大学の卒業生らしいので買ってみた。色々調べたものの、旧蔵者の氏名は不明。
 冒頭にあげた写真の建物は、京都帝国大学工学部土木工学科教室と判明。左の方に立っているのが、旧蔵者でこの年に入学したと判断した。『京都帝国大学一覧』によると、大正13年の同学科への入学者は34人である。次の写真は、京大のどこの写真か不明。右上が旧蔵者なのだろう。
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 吉田神社真如堂の写真も。真ん中は、別の写真のキャプションから妹の敏子(16歳)と分かる。
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 敏子も美人の方だが、本田真子はより美人ですね。持ち主もそう思っていたのか、真子単独の写真も(^_^;)
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 兄は水産関係の学生だったのか、このような写真が。それと関係があるのか、千葉県館山における水産講習所(東京海洋大学の前身の一つ)の学生による漁業実習の光景もある。
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 知人なのか、「昭和六年一月/新谷規矩夫氏」という名前があった。『会員氏名録』(学士会)によると、新谷は昭和6年京都帝国大学法学部卒である。
 その他、関東大震災後の芝浦埠頭や吾妻橋の写真も。余談だが、最近読んだ本に関東大震災東京帝国大学の学生は京都帝国大学に無試験で編入できたとあった。旧蔵者が東京帝国大学から大正13年京都帝国大学編入したという空想もできる。どの程度の編入者がいたのか、調べた人はいるだろうか。
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 兄がヴァイオリンをたしなんでいたり、弟が京大生だったり、教養ある一家だったことが1冊のアルバムからうかがえる。
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