神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

日清戦争期における緊急勅令による事前検閲制及び『萬朝報』の発行停止ーー奥武則『黒岩涙香』(ミネルヴァ書房)への補足ーー

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 奥武則『黒岩涙香:断じて利の為には非ざるなり』(ミネルヴァ書房、令和元年11月)に、戦前の緊急勅令による事前検閲制に関する記述がある。

 (略)相馬事件報道をめぐって『萬朝報』が四回もの発行停止処分を受けたことにふれた際に記したように、一八七五年の新聞紙条例と讒謗律以来、新聞は政府の統制下にあった。
 この統制は納本制に基づく事後検閲だった。しかし、日清戦争が始まると、政府は八月一日、草稿段階での事前検閲を規定する緊急勅令を公布した。(略)

 新聞・雑誌の検閲について、戦前の内務省による検閲は事後検閲、戦後のGHQによる検閲は事前検閲。ただし、戦前の陸海軍大臣による軍事に関する記事禁止命令は、事前検閲的性格があった、と大枠の理解をしていた。緊急勅令による事前検閲というのは意識していなかったので、驚いた。
 早速、緊急勅令について調べてみた。明治27年勅令第134号「新聞雑誌及其ノ他ノ出版物ニ関スル件」が当該緊急勅令である。官報の写真を挙げておく。
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 公布日は明治27年8月2日が正しい。「外交又ハ軍事ニ関スル事件ヲ新聞紙雑誌及ヒ其ノ他ノ出版物ニ掲載セントスルトキハ行政庁ニ其ノ草稿ヲ差出シテ許可ヲ受クヘシ」と定められた。
 この緊急勅令は、同年9月13日公布の明治27年勅令第167号により廃止された。廃止により日清戦争に関する報道が自由になったわけではなく、同日公布された明治27年陸軍省令第20号及び明治27年海軍省令第13号により、「当分ノ内(軍艦)軍隊ノ進退及軍機軍略ニ関スル事項ヲ新聞紙雑誌ニ記載スルコトヲ禁ス但予メ陸(海)軍大臣ノ認可ヲ経タルモノハ此限ニ在ラス」とされた。事前検閲制の代わりに記事禁止命令が出されたわけである。記事禁止命令が事前検閲的性格を有したとされるのももっともなことである。
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 ところで、ここに数ヶ月前に平安蚤の市で入手した朝報社が『萬朝報』読者に送った葉書がある。冒頭に写真を挙げたものである。明治27年10月29日付けで同月28日発行の『萬朝報』第572号が「治安妨害、然り治安妨害の廉を以て内務大臣より発行を停止せられたり」という内容である。この発行停止については、奥著も言及している。

 一一月三日の『萬朝報』の社説「解停の辞」によると、日清戦争が始まった後、二回の発行停止処分を受けたという。この「解停の辞」は二回目の処分が解けたのを機に書かれたものである。(略)

 復刻版の『萬朝報』を見ると、「解停の辞」には日清戦争が起きてから「第五回の停止」にあい、今又「第六回の停止」にあった旨が書かれていた。『萬朝報』は相馬事件の関係で既に明治26年4回発行停止にあっていたので、日清戦争関係で5回目に続き6回目の発行停止を受けたという意味である。入手した葉書にも「既往、一回、二回、三回、四回、五回の停止に由りて」云々という記載があった。
 奥著によると、明治27年における『萬朝報』の1日当たりの平均発行部数は4万8940部と推定されている。購読者のすべてに発行停止を知らせる葉書を出したとは限らないが、数万部は発送されたのだろう。多分他にも残っているであろう。しかし、実際に入手するのは困難かもしれない。新聞の発行停止を知らせる葉書自体は割合見かけるもので、私も他に明治28年の『鳥取新報』発行停止に係る葉書を持っている。