神保町系オタオタ日記

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高橋箒庵『萬象録』(思文閣出版)の完結を祝してーー巻9の解題(政治・社会・思想)に中野目徹先生ーー

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 今年5月に高橋箒庵(高橋義雄)の『萬象録』巻9(思文閣出版)が刊行され、完結した。関係者の皆様、お疲れ様でした。拙ブログ
高橋箒庵が見た閨秀画家野口小蘋と小蘋挿画『画法自在』(博文館) - 神保町系オタオタ日記」で「巻8刊行後20年以上経つが巻9が未だ刊行されていない」と書いたのが、昨年1月である。多少は拙ブログが後押しになったのかもしれない。もっとも、6月26日の京都新聞に今年は高橋がまとめた茶道具の大名物図鑑『大正名器鑑』の刊行100周年に当たると出ていた。それを記念して根津美術館で企画展「茶入と茶碗ーー『大正名器鑑』の世界ーー」(7月11日まで)が開催とある。『大正名器鑑』刊行100周年に合わせて、『萬象録』の刊行を再開したのかもしれない。また、昨年9月に斎藤康彦『高橋箒庵:近代数寄者の語り部』(宮帯出版社)が刊行された影響も大きいのだろう。
 残念なのは、当初予定されていた索引が作成されなかったことである。熊倉功夫「後記にかえてーー新出『還暦後記』の紹介」によると、「当初予定していた索引は、量がぼうだいになることと、小見出しが目次中にあることを考え、その総目録を巻末に付すことで、省略した」という。刊行の遅れにも幸いなことがあって、『萬象録』の続篇に当たる「還暦後記」(大正10年7月~昭和4年12月)が新たに発見され、収録されている。
 政治社会関係の校訂を担当し、解題を予定されていた大濱徹也先生が平成31年2月に亡くなられ、代わりに中野目徹筑波大学教授が政治社会方面の解題を書いておられる。中野目先生の解題は、「成功」した実業家の「現役時代も含めた明治・大正期の政界と財界の写し鏡でもある『萬象録』を読み解いていく場合の視点のいくつかを提示」したものである。井上馨山県有朋ら元老との交際、三井系・慶應義塾系財界人や旧水戸藩士との関係、政治家・財界人との会談で聞き取った回想談の価値、更には「成功」した実業家には見えなかったものにまで言及している。バランスの良く取れた解題である。
 私は、『萬象録』では特に美術・宗教・建築・文学関係者に関する記述に注目してきた。9巻はまだ読み始めたばかりだが、「河口慧海のパトロンとしての高橋箒庵と『印度歌劇シャクンタラー姫』(世界文庫刊行会) - 神保町系オタオタ日記」で言及した河口慧海が早速出てきた。

(大正十年)
一月七日 (略)
 午後一時半、駒込勝林寺に赴き、交詢社幹事高橋正信氏夫人告別式に参列す。棺側に河口慧海師が経机を控へて一人にて読経し居りしが、西蔵語の読誦と見え曽て聞き及びたる事なき語呂にてありき。告別式一時間読み続くるならん、此一事従来の告別式に見受けざる所なり。

 平成10年に黄檗萬福寺文華殿で開催された「河口慧海ネパール・チベット入国百周年記念 その初公開資料と黄檗山の名宝」展の図録の年表によれば、河口は翌月黄檗宗の僧籍を返上している。還俗するのは大正15年1月なので最後の読経ではないだろうが、貴重な記録だろう。やはり、『萬象録』は茶人に関心のある人だけではなく、幅広く多くの人々に読んでほしい貴重な日記である。
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