神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

三密堂書店で槙村正直『私用文』(書籍会社、明治7年)を発見ーー「夢見る京都集書院」の世界ーー

f:id:jyunku:20210111185457j:plain
 三密堂書店で槙村正直『私用文』(書籍会社、明治7年4月)を購入。昨年から店内にあった。しかし、表紙の「槙村正直 私用文初編」だけを見て、京都府知事を務めた槙村個人の著作ではなく、京都府が作成した教科書で名義だけ槙村にしたのだろう、教科書なら幾つかの図書館に残っているだろうと思ってしまい、買わなかった。
 その後、まだ残っていたのでよく見たら、京都集書院ゆかりの書籍会社(大黒屋太郎右衛門)の発行で、珍しそうな「書籍会社」印も押されているので、慌てて購入。35丁、200円。併せて、内容は同じだが羽仁謙吉版(明治9年1月)もあったので、購入。国会図書館サーチによると、羽仁版の第2編(明治10年8月)だけ横浜国立大学附属図書館が所蔵している。意外と珍しいもののようだ。『京都出版史第一次資料(明治元年~昭和20年)』(日本書籍出版協会京都支部、昭和56年12月)には、明治7年大黒屋太郎右衛門発行の「初篇」のみ記載されていた。
 無き駸々堂で買ったことを覚えている多田建次『京都集書院福沢諭吉と京都人脈』(玉川大学出版部、平成10年9月)を引っ張り出してきた。日本初の公立図書館である集書院は、明治6年5月開館。管理運営は、大黒屋や御用書林村上勘兵衛*1らが明治5年5月創設した集書会社が行った。この集書会社の前身が大黒屋の書籍会社(明治4年創立)である。ただし、同社の貸本・販売部門は廃止されたが、出版事業は続けられた。刊行書で最も著名なものは、福沢の『京都学校の記』である。『私用文』も含めて、刊行物は数点しか確認できない。
 『京都府誌』上巻(京都府大正4年10月)によると、「本府は作文の成績不良にして上級に至るも私用文の活用に乏しく、甚だしきは首尾齟齬更に体裁をなさゞるものあるを認め、私用文語(槙村正直著平井義直書)を習学せしめ、私用文活用の基礎を作り」とある。『私用文』については言及されていないが、これも槙村著*2の教科書だったのだろう。明田鉄男『維新京都を救った豪腕知事:槙村正直と町衆たち』(小学館、平成16年1月)の年表にも『私用文語』(明治10年5月)はあがっているが、『私用文』の記載はない。今回見つけた『私用文』は、京都の教育史・図書館史を考える上で忘れられた重要な史料のようだ。
f:id:jyunku:20210111185535j:plain

*1:トンデモハンドで御用御書物所の村上勘兵衛が発行した『議案録』(明治2年)を掘り出す - 神保町系オタオタ日記」参照

*2:『私用文』初編の末尾に「龍山述」とあるが、「龍山」は槙村の号である。