神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

取りあえず買っておいたら役に立った『旧高田邸と国立大学町85年の物語』ーー高田義一郎と茅原華山の『内観』

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 茅原華山の『内観』(大正9年4月創刊)における異色の執筆者について、「知恩寺の古本まつりで三密堂書店から茅原華山の雑誌『内観』を - 神保町系オタオタ日記」で紹介した。『民本主義の論客茅原華山伝』(不二出版、平成14年12月)の著者茅原健氏は、そのうち高田義一郎について、詳しい経歴は不明とし、同誌での記事における「千葉医専教授」(大正10年7月)、「小児衛生保健相談所 医学博士」(大正14年4月)の肩書きや「毎日診療『愛児と慈母との健康相談所』タカタ小児科医院 院長医学博士高田義一郎」の広告を紹介している。高田については、高田邸が取り壊された平成27年にイベントや旧高田邸プロジェクト実行委員会編『旧高田邸と国立大学町85年の物語』(国立本店、平成27年8月)が刊行された。後者の発行がTwitterで話題になったので、当時買っておいた。現代ユウモア全集の『らく我記』(現代ユウモア全集刊行会、昭和3年11月)の著者ぐらいとしか知らなかったが、いつか役に立つかもと思ったのである。同書の目次を挙げておく。
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 「高田義一郎人生カルテ」(制作加藤健介)という年譜が載っている。これから要約すると、

明治19年6月 滋賀県草津村生まれ
大正8年12月 千葉医学専門学校教授
大正13年8月 赤坂区溜池町で小児衛生相談所開設
昭和4年12月 国立の家(旧高田邸)が完成し、引っ越し
昭和5年 商科大学校医。郵便局の裏を借り、医術開業もほどなく止める。
昭和9年 阿佐ヶ谷で医院を始めるが、すぐに引き払う。
昭和20年6月 没

 このほか、昭和9年人文書院から相談を受け、幼児の災害に関する『育てのこつ』をまとめるともある。京都帝国大学医科大学の卒業年の記載がなかったが、大正元年11月卒である。『内観』に広告が出た「タカタ小児科医院」は、溜池町時代を指すか。
 本書は、失われた高田邸の詳細な写真や著作の書影付き解説、語録など高田の全貌が分かる好著であった。何でも買っておくと、いつか役に立つものである。