神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大正12年宮本常一が観た「大和少女歌劇」は日本少女歌劇座か?ーー京都文教大学の鵜飼正樹教授へーー

 奈良県立図書情報館で開催された日本少女歌劇座に関する展覧会は、見逃してしまった。「旅する歌劇団 日本少女歌劇座を追う(2018年9月22放送)|特集|U-doki|UMKテレビ宮崎」によると、京都文教大学鵜飼正樹教授が同歌劇座を研究する切っ掛けになったのは、11月に京都市内であった古本市で見つけた絵葉書だという。これは、おそらく百萬遍知恩寺の古本まつりでシルヴァン書房の寸葉さんこと矢原さんの所で見つけたのだろう。
 さて、宮本常一の日記*1を読んでいたら、面白い記述があった。

(大正12年)
10月21日(日)
(略)弟と天王寺へ行く。交通博覧会を見に。(略)余興場へ這入る。大和少女歌劇演舞の最中だ。何か知らんがむやみに亢奮した。俺見た様な男が歌劇を見るべきではない。・・・夕暮はせまつた。広い公園を抜けて恵美須町から電車へ乗る。(略)

 「大和少女歌劇」というのが出てくる。昨年DMG MORI やまと郡山城ホール展示室で開催された日本少女歌劇座展のパンフによると、同歌劇座は大正10年頃大阪の日下温泉で誕生。その後、温泉の営業不振により、大和郡山(当時は生駒郡郡山町)の島興行社が経営。大正12年1月の大津での公演が判明している最古の公演だという。当初大和少女歌劇座を名乗っていたという話はなさそうだ。そうすると、宮本が書き間違えたか、大和少女歌劇座(又は団)が別に存在したのだろうか。参考になればと、ブログに挙げておきます。鵜飼先生に到達するのに、何日かかるだろうか。

宮本常一日記 青春篇 (-)

宮本常一日記 青春篇 (-)

*1:宮本常一日記青春篇』(毎日新聞社平成24年6月)