神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

与謝野鉄幹の兄大槻拙堂とは誰だ?ーー鉄幹の行方不明となった三兄巌のその後ーー

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 「カルピスを「初恋の味」にした驪城卓爾と三島海雲ーー厚生書店で見つけた『箕山遺稿』ーー - 神保町系オタオタ日記」で紹介した驪城卓爾『箕山遺稿』(驪城芳子、昭和4年6月)の「柿三題」中「落柿舎」に面白い記述があった。

 数年前*1のある秋、其頃はまだ嵯峨の天龍寺前に、大槻拙堂さん(与謝野鉄幹氏令兄)が「花より団子の本家はこゝぢや。」とかいた大きな立看板を、店頭に出して居る時分であつた。私は此店でおいしい団子と渋茶とをよばれて(略)

 鉄幹にそんな兄がいたんだと思っていた。ところが、青井史『与謝野鉄幹:鬼に喰われた男』(深夜叢書社、平成7年10月)を見る限り、そのような名前の兄はいない。長兄和田大円(1859-1932)や赤松連城の長女安子と結婚した次兄赤松照幢(1862-1921)は、確実に別人である。問題は、三兄の巌である。慶応元年生で、明治18年に失踪届が出されているという。ただ、母や弟の修、妹の静子は所在を知っていたようで*2、青井氏は父との葛藤があったからだろうと推測している。
 この巌は、その後どのような生き方をしたのか不明とされている。卓爾の書いていることが正しければ、巌は大槻家へ養子に行き、法名(?)が拙堂であったのかもしれない。拙ブログの読者に鉄幹の研究者がおられるのか不明だが、おられたら調べてみてください。

*1:初出の記載がないので、時期は不明

*2:鉄幹は、明治17年6月大阪住吉の安藤秀乗の養子となっていた。