神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

自宅「向日庵」を図書館にしてしまった壽岳文章の読書人生

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テレビに登場したらしい三密堂書店の100円均一台で見つけた久山康編『読書の伴侶』(基督教学徒兄弟団、昭和27年4月初版・同年8月3版)。戦後の読書論はあまり興味がないが、座談会のメンバーの中に壽岳文章がいたので、購入。他のメンバーは、森信三、高坂正顕西谷啓治、伊吹武彦、松村克己、伏見康治、猪木正道矢内原伊作、久山康。『壽岳文章書誌』(壽岳文章書誌刊行会、昭和60年1月)では、「雑載本」に分類されている。
壽岳の発言から幾つか紹介しておこう。

・「確かに原書を一冊読み切ると、剣道でいえば一段上つた位の力がつきます。私は中学時代ギッシングの『ヘンリー・ライクロフトの手記』を読み切つたときに、それを感じました」
・「私は『読書日記』を綴つています。平均一冊の本について、ノート一枚位の覚え書きを書いています」
・「私は図書館と同じカードを作つています。人に借[ママ]した場合にも書いて置きます」
・「私は田舎で育つたものですから、思うように本が手に入りませんでした。それで予約して『冒険世界』や『武侠世界』を読みました。色刷りが原色を二つ位使つていて、生々しい印象を受けました」
・「私は日本の近代叙情詩に虚無の感覚を導入した詩人として、朔太郎に注目します。日本近代詩の内容は、彼によつて多少なりとも深化しました」

発言によれば、壽岳は図書カードを作っていたようだ。蔵書について、「私の蔵書整理法」『英語青年』昭和32年2月号で「書棚整理はだいたいDeweyの十進法によっているが、一万冊を規準にして作った書庫がいっぱいになってしまった今日では、どこへ入れるかに苦心する」とも書いているので、自宅を文字通り図書館にしていたのだろう。そういえば、書物蔵氏がカラサキ・アユミさんとの対談で、「蔵書はNDC(日本十進分類法)順に並べている」と発言して、会場が騒然としたっけ。
壽岳が朔太郎について述べた文章は他にあるだろうか。座談会では、朔太郎の「虚無の鴉」を引用している。また、山村暮鳥も好きだと言い、エミリー・ディキンソンと共通した宗教的で内面的なものがあるとして、「ある時」という詩を例示している。