神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

謎に包まれた龍谷大学予科教授時代の吉田光邦

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『yama』4号(鬼蛍社、昭和23年12月)という雑誌が手元にある。龍谷大学内の鬼蛍社が発行。編輯兼発行人は、西山賢珠。国会図書館サーチではヒットしない。タイトルから山に関する雑誌かと思ってしまうが、目次を見ていただこう。
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執筆者のうち、木村秀雄は龍谷大学文学部教授、遊亀教授*1龍谷大学予科教授、吉田光邦龍谷大学予科教授・東方文化研究所員。「編輯後記」によれば、詩「みそし抄」「銀杏集」「詩篇」等は龍谷外の一般作品。
吉田光邦というと、京大人文研の吉田としてしか知らないが、『吉田光邦 両洋の人 八十八人の追想文集』(思文閣出版、平成5年11月)の略年譜によると、

大正10年5月 現名古屋市西区
昭和20年 京都帝国大学理学部宇宙物理学科卒業、龍谷大学予科教授
昭和21年 東方文化研究所嘱託
昭和24年 京都大学人文科学研究所助手

確かに龍谷大学予科教授であった。吉田の論考の後に面白い広告が載っている。
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吉田編輯・野村純孝発行で8月に『プシケ』という純文芸誌を出すという。この『プシケ』も国会図書館サーチでヒットしない。念のため龍谷大学図書館や吉田旧蔵書の寄贈を受けた総合資料館の後身である歴彩館のOPACを検索しても、やはりない。しかし、前記『吉田光邦 両洋の人』の宇都木秀甫「吉田光邦先生の死」に、

龍大新聞部の部員などが集まって詩誌「プシケ」を発行したがそれに先生も参加していた。実験劇場とのつながりは「プシケ」よりもあとだった。
瀧澤佐保というペンネームで先生は詩と演劇にかかわった。
実験劇場の試演会で詩の朗読もやったが、今も残っているプログラムに先生の瀧澤佐保の名がはいっている。(略)

とあって、発行されたようだ。龍谷大学予科教授時代の吉田の全貌を把握するのは、難しそうだ。
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*1:遊亀教授の「教授」は本名で、「サズク」とルビがある。