神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

富士正晴や谷沢永一が感心した蒼馬社の中村泰が書いた「大都映画の話」

先月の全大阪古書ブックフェアでは池崎書店が蒼馬社(大阪市)の中村泰宛書簡等を出品していて、幾つか購入した。今回紹介するのは、昭和50年4月25日付け富士正晴の葉書である。文面は、『蒼馬』3号送付への御礼で、「大都映画の話」が興味深く、「面白い人がまだまだ世に残っているものですな」と感想を述べている。当時富士は62歳で、この年の5月に『富士正晴詩集』(五月書房)を出している。
中村の経歴は不明だが、小島輝正『関西地下文脈』(葦書房、平成元年1月)によれば、昭和2年生まれ。『蒼馬』は昭和37年8月(ママ。正しくは、昭和38年7月)創刊、以後2号(39年12月)、3号(50年4月)、4号(53年12月)が刊行されている。4号の「聞き書き・大阪プロレタリア文学史(1)」は、『独創』の堀鋭之助を加えて、近藤計三、中村の3人が作家同盟大阪支部長を一時期務めた田木繁を訪ねた聞き書きだという。近藤計三については、「近藤計三の詩誌『狙撃兵』をめぐる足立巻一のやちまた」を参照されたい。
『蒼馬』3号に中村が書いた「大都映画の話」だが、これについては谷沢永一も評価していた。『紙つぶて 自作自注最終版』(文藝春秋、平成17年12月)の「映画史の襞にわけいって」に次のようにある。

小学校を出たころ「薩南大評定」や「隠密縁起」に夢中であった感銘を忘れぬ中村泰は、当時の監督、小崎政房を訪ねて詳細な聞き書き大都映画の話」を作成、参考文献を渉猟した注を加え、個人雑誌『蒼馬』(略)第三号に掲載している。
(略)映画人、軽演劇人の貴重な証言をひきだした中村泰の熱意に脱帽。

小崎政房(おざき・まさふさ)はまったく知らなかったが、明治40年京都市生まれの映画監督、演出家らしい。富士や谷沢が感心した「大都映画の話」が載った『蒼馬』3号は国会図書館が所蔵しているので、読んでみたいものである。
追記:『富士正晴資料目録:富士正晴記念館所蔵』4書簡(富士正晴宛)編下巻(富士正晴記念館、平成7年3月)に中村からの昭和39年1月4日付け年賀状、54年5月5日付け封書が掲載されている。

紙つぶて―自作自注最終版

紙つぶて―自作自注最終版