神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

戦時下に京大北門前の進々堂に通う河上肇

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一昨日終了した四天王寺秋の大古本まつりの100円均一コーナーに河上肇全集(岩波書店)の端本が数冊出ていたが、誰か買っただろうか。経済学者の全集の端本では100円でも中々拾う人はいなそうだが、この全集の日記篇は実は面白い。拙ブログでも「河上肇が通った臨川書店と一信堂 - 神保町系オタオタ日記」や「吉井勇と河上肇の日記に記録された馬町空襲の真実 - 神保町系オタオタ日記」で使ったところである。
さて、京大生御用達の喫茶店に京大北門前の進々堂がある。黒田辰秋製作の長テーブルがあり、居座って本やノートを広げ御勉強する京大生には便利であった(らしい)。戦前から営業していて、戦時下に河上が通っていた。

(昭和十七年)
一月十五日(木) 京大裏門前のパン屋進々堂の名は、静子よりの手紙により、小菅在獄中より聞き知り、一度そこのパンを食せんことを思ふこと久し。昨日恒藤君より、そこのパンは東京にも稀な位の美味なる由を聞き、午前十一時に行つて見る。人少くして、ジャム付のパンを食ひつつある客あるを見て、之はよき時に来りたりと思ひしに、もはや売切にて十二時にならでは給せぬとのことに、意を達せずして帰り、静子のくれたしるこを食してパンに代ふ。(略)
十二月三十日 小菅獄中より一度口にしたしと思ひゐし浸(進)々堂のパン、学生少きため今日初めてありつく。
○ひとやにて八年まへより聞きゐたる浸々堂のパンをけふ食む
○わが友の日本一とほめゐたるパンやのパンも今あはれなり
○列なしてただ一きれのパン食むと街にあふれて待ちゐる人々
(昭和十八年)
六月十六日(水) 第六回目の第二誕生日*1なり。(略)秀および静につき合つて貰ひ、余が本代にておごるとて、昼食時、百万遍の駸[ママ]々堂といふパン屋のランチを食べにゆく。ランチ六十銭、紅茶十銭、これが恐らく余の主唱にてものを食べにゆきし嚆矢ならむ。外に林檎ゼリー(価十五銭)をも食べて帰る。(略)
六月二十日(日) (略)昼食はどこも駄目、遂に百万遍の駸[ママ]々堂まで廻つて見しも、今日は休業。(略)
六月三十日(水) 昼食、進々堂にて特別料理(一円)といふのを喫し、帰途河田家に立ち寄る。
七月十三日(火) (略)進々堂にては野菜(胡瓜、三度豆、キャベツ)にシチュウだけ食べて帰り、うちに帰りて飯一碗をとる。(略)
十二月六日(月) 静子と共に午前十一時進々堂にてパン・ランチを食す。価、飲料とも九十銭。パンの分量、以前に比し半分よりも少く、飲料といふはコブ湯にて生ぬるし。(略) 

( )は校訂者による傍注、[ ]は引用者による注

文中、河上に進々堂のパンが美味なことを教えた「恒藤君」は恒藤恭。昭和18年末になると進々堂の提供する料理も貧弱になったことがわかる。より戦局の悪化する昭和19年、20年に営業できたのかは、河上の日記では確認できなかった。いつか、誰かの日記で確認できるだろうか。

*1:校訂者注によると、「昭和十二年の出獄の日からかぞえていう。ただし一日間違えており、出獄の日は六月十五日」