神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

壽岳文章と芸艸堂

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古書鎌田から芸艸堂(うんそうどう)の『美術図書目録』と書砦・梁山泊から本田芳太郎『私と芸艸堂』(芸艸堂、昭和58年)を入手。前者には発行年の記載がないが、「近刊だより」に山中古洞『挿絵節用』(昭和16年12月)が挙がっているので、昭和16年の発行だろう。目録中の「西洋芸術叢書」に壽岳文章の『ブレイクの画論』が出ていた。昭和4年の発行だが、所蔵する図書館は麗澤大学図書館*1ぐらいか。この『ブレイクの画論』は、芸艸堂発行で京都市立絵画専門・美術工芸学校校友会編集の雑誌『美』に掲載されたものが基になっているようだ。『私と芸艸堂』に寄せた壽岳「芸艸堂の軌跡ーー思いだすままにーー」によると、

この『美』の昭和四年九月号は、「わが景慕する村上華岳画伯にささぐ」と副題した私の「ブレイクの画論」が内容のすべてで、計五葉の口絵や挿絵も私の選んだブレイクの代表作ばかり。執筆を頼みに来た若い画学生の、礼儀正しい挙止は今も私の瞼にあるが、この執筆が契機となり、私は寺町二条南に店を構えていた芸艸堂へ時折足を運んだ。半世紀以上も昔のことである。ならば、こうした一文を綴る資格ありとの自負も、許されるのではあるまいか。その頃はよちよち歩きしていた娘も、今は芸艸堂執筆陣の一人となっている。

壽岳は芸艸堂からは、『和紙の旅:時と場所の道』(昭和48年5月)や『本の正坐・独語と対談』(昭和61年2月)も刊行している。また、娘の章子が『花の詩の旅』(昭和45年1月)などを出していた。なお、壽岳文章は「ざっさくプラス」で376件ヒット。『密宗学報』昭和2年8月に「カバラ(布白[ママ]来密教)の教義」を書いているらしい。
参考:「芸艸堂のPR誌『美術タイムス』 - 神保町系オタオタ日記

*1:OPACには「東洋芸術叢書」となっている。