神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

明治25年博愛社創立者の小橋勝之助が観た京都パノラマ館

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だいぶ前に一乗寺の萩書房Ⅱの100円均一台で『小橋勝之助日記『天路歴程』』(博愛社平成23年10月)を拾った。非売品、119頁。長らく積ん読だったが、掘り出してようやく読んだ。博愛社は、明治23年現在の相生市で創立され、小橋の死後の明治27年に大阪に移転した博愛慈善事業のための結社で、現在も社会福祉法人として存在する。本日記は、明治25年2月から12月までの日記だが、北海道視察に向かう途中に寄った京都に関する記述が面白い。

(明治二十五年六月)
十一日(土曜)(略)晩食後京都パノラマ館に入りて明治維新革命の活画を見て大に感ぜり維新の革命は愛国の志士が血を流して購ふたる所のものなり明治第二の革命即精神的革命将に来らんとす誰か血を流して其革命に従軍するか主よ愛国の志士を起し第二の革命を我国に来らしめ御国を我国に在らしめ玉へアーメン又同館の楼上より京都市中を眺めしに京都は三面山に囲まれたる地にして神社仏閣多く実に因循の地なり工商業は是の地に於ては発達せざる所也其より市中を徘徊するに悪魔の機械備はれり実に慨嘆の至りに耐へず

京都パノラマ館を観覧しているね。ネットで読める「見世物興行年表」の「パノラマ二十三」によると、新京極三条のパノラマ館で明治25年5月20日から画工芳洲による伏見戦争の画を展示している(同日の大阪毎日新聞)。小橋が記録した「明治維新革命の活画」がこれだろう。「芳洲」は画家野村芳国で、映画監督野村芳太郎の祖父らしい。小橋によれば、京都パノラマ館は市中を眺められる程の高さがあったようだが、写真は残っているだろうか。