神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

竹岡書店の均一台で拾った森銑三が亡き弟次郎に捧げた『鈴木為蝶軒』

買った古本を紹介する間もなく次から次へと新たな本を買って、積ん読本が溜まるばかりである。今回は、8月の下鴨納涼古本まつりで竹岡書店の均一台から拾った小冊子を紹介。均一台では、背表紙にタイトルのない本特に雑誌や本と本との間に挟まって見落とされやすい小冊子を重点的にチェックしている。こういうものの中にどこの図書館にも無い本とか誰も見た事が無い本が紛れているからである。そうしたら見つけたのは、『鈴木為蝶軒』という22頁の小冊子、奥付はない。見返しに「昭和八年一月 森銑三」とあって、「ウォー」と思い確保。
鈴木武助(為蝶軒)は、下野黒羽藩の家老であった。調べて見ると、文章は『近世高士傳』(黄河書院、昭和17年)に収録され*1、『森銑三著作集』8巻にも収録されている。同巻の「編集後記」には、「昭和八年一月に私家版を知人に配り、のち『近世高士傳』に収録」とある。この「私家版」が私が拾った冊子ということになる。森の知人が本書を旧蔵していたことになるのだろうが、蔵書印などはない。竹岡書店の均一台には上原専禄の旧蔵書も出ていた*2が、森と上原では関係がなさそうだ。
本書の22頁に発行の経緯が記されているが、『近世高士傳』や著作集から省略されているので、記録しておこう。なお、旧字は新字に改めた。

昭和七年十二月二十一日の朝、この小篇の原稿をやうやうにして書上げて、印刷所へ送つて帰つた時に、私は郷里の弟の訃報に接して茫然とした。その夜遽かに郷里刈谷に帰つて葬儀を済まし、昨夜二週間ぶりに東京へ戻つて来たら、留守の間にもう初校が来てゐた。年賀状の代りに拵へるつもりであつたこの小冊子は、改めて亡弟を追悼するの意を籠めて出すこととする。
弟名は次郎、東京工学校を出て商工省の臨時窒素研究所に奉職し、その傍ら東京物理学校に通つて同校を卒業したが、卒業後まもなく病を獲て郷里に静養すること六箇年、宿痾は殆ど全く癒えて再び職に就きたいといつてゐた矢先に、図らずもまた脚気を病んで、臥床すること僅か十日にして昨年十二月二十日の午後十一時五十分に永眠した。年を享くること三十歳(略)
昭和八年一月四日 森銑三

柳田守『森銑三ーー書を読む“野武士”ーー』(リブロポート、平成6年10月)には弟の三郎は出てくるが、次郎についての言及はないので、貴重な資料である。

森銑三―書を読む“野武士” (シリーズ民間日本学者)

森銑三―書を読む“野武士” (シリーズ民間日本学者)

*1:若干の異同、増補「為蝶軒関係資料」がある。

*2:第6代関西学院大学図書館長東晋太郎が空襲から守った蔵書群」参照