猫猫先生が十川信介人生最後の年賀状をアップされていたので、負けじと(?)文庫櫂で入手した昭森社(しょうしんしゃ)の森谷均(もりやひとし)の年賀状を。昭和44年富山県小矢部市の稗田菫平宛である*1。稗田は詩人。文面は印刷で、
・昨年夏初めての手術で約三ヶ月入院したが、その後やや順調に経過していること。
・50年以上の酒とのつきあいは疎遠になったこと。
・今後は『本の手帖』の続刊とのんきな単行本出版に専念すること
が書かれている。その他前年秋朝日新聞記者が紹介したディレッタントの生き方に言及している。この朝日新聞昭和43年9月29日朝刊の「人生を語る(インタビュー)」は、『本の手帖』別冊森谷均追悼文集・昭森社刊行書目総覧(昭森社、昭和45年5月)に収録されていて、「僕は、終生、ディレッタントなんです。知的な浮気者なのかなあ」と答えている。
年賀状ではやや順調に経過していると報告した森谷だが、その後間もなく3月29日に亡くなった。前記『本の手帖』別冊の神原泰「森谷均君におくる弔辞」によると、森谷は「死期近く「どうぞもう二年だけ生かして『本の手帖』の百号を出させて下さい」と神に祈った」という。
*1:昭和41年から43年までの年賀状も入手。