神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

発禁になったオッペケペー節ーー永嶺重敏『オッペケペー節と明治』(文春新書)を読んでーー

名著『<読書国民>の誕生』(日本エディタースクール出版部、平成16年3月)で知られる永嶺重敏氏の『オッペケペー節と明治』(文春新書、平成30年1月)を拝読。地方新聞掲載のオッペケペー節に関する記事を丹念に拾っていてさすが永嶺氏と唸らせるものがある。気付いたことを指摘しておこう。
200頁で『中央新聞』明治24年11月19日が引かれている。

オツペケペー節とヤツツケロ節 当時流行のオツペケペー節ヤツツケロ節等の中には官吏侮辱のものもあり各寄席には在来の連中に書生風の者交り且壮士風を真似する事流行する事なるが是亦侮辱の嫌ひあるもの往々あるを以て流行歌及各寄席へ巡査を派して取締る事に定めたりと聞く

これを読んで、オッペケペー節を唄本などにしたものも取り締まられたのではないかと、斎藤昌三編『現代筆禍文献大年表』(粋古堂書店、昭和7年11月)を見ると、2点ありました。

新作おッぺけぺーぶし(安) 山形県 柄澤常次郎 明治26年3月
ヲツペケペツポブシ 一枚 広島市 中村利三郎 明治33年2月

永嶺氏によると、オッペケペーブームは明治24、25年頃がピークだったというので、明治25年以前の発禁の事例があってもよさそうだ。永嶺氏がオッペケペー節を流行歌の一つとして集めた明治24年発行の音曲集を『つめ引文句』など6点あげているが、このようにタイトルに「オッペケペー」の文字が含まれないものの中に発禁になったものがあるかもしれない。なお、永嶺氏があげた6点の音曲集は斎藤本には記載されていない。
また、オッペケペー節は日清戦争をきっかけとして明治27、28年頃に替え歌という形で再び人々に歌われるようになった*1が、それ以降はまた下火になったという。斎藤本によると、明治33年発行の一枚物で発禁になったものがあるようなので、同年でもまだある程度人気があったことがうかがわれる。
ちなみに、ヤッツケロ節の方は、斎藤本には『関西魁新聞』(名古屋)大正12年5月12日第210002号「やっつけろ節」があがっているだけである。
以上、発禁の視点から補足してみました。

*1:国会図書館が所蔵する三遊亭志う鶴『日本大勝利日清事件時世節並ニヲッペケブシ』(沖金次郎)もこの例だと思われるが、国会図書館サーチでは明治17年12月発行となってしまっている。