神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

木山捷平と内務省検閲官佐伯郁郎

平成16年5月発行の『月の輪書林古書目録』13号は特集「李奉昌不敬事件」予審訊問調書であった。装幀は林哲夫氏。冒頭、木山捷平の『酔いざめ日記』からの引用で始まる。

一九三二(昭和七)年一月八日、金。
朝風呂にゆきひげをそる。午後三時すぎ、農林省営林局に倉橋を訪ね不在。内務省に佐伯を訪ねる。今日観兵式還幸の鹵簿に爆弾を投げし男あり。場所は警視庁前の由。内務省大さわぎなり。巡査が号外、新聞を没収しつつ街をあゆめり。犯人李奉昌

最初にこれを読んだ時は「佐伯」が誰かわからなかったが、講談社文芸文庫版の『酔いざめ日記』を読んでいて、「あっ、検閲官の佐伯郁郎かも」と気付いた。千代田区千代田図書館発行の村山龍「<文学のわかる>検閲官ーー佐伯慎一(郁郎)についてーー」(「内務省委託本」調査レポート第15号)によると、佐伯郁郎(本名・慎一)は、明治34年岩手県生、大正14年3月早稲田大学文学部仏文科卒、15年12月から内務省警保局図書課に勤務していた。
また、佐伯と木山に交流があったことは、林氏のブログ「daily-sumus2」の平成26年2月21日分で紹介された『木山捷平資料集』(清音読書会)掲載の『メクラとチンバ』(天平書院、昭和6年6月)の出版記念会の出席者でわかる。出版記念会の参加者として、倉橋弥一、田中令三、宇野浩二らとともに佐伯の名前があがっている。佐伯と木山がどのように知り合ったかは、今後の研究課題だが、村山氏によると、佐伯の第一詩集『北の貌』(平凡社昭和6年5月)の出版記念会には、神原泰、村野四郎のほか、田中、宇野も出席していたというので、田中や宇野を通じて知り合ったという可能性はある。
なお、吉備路文学館で7月29日(日)まで「没後50年木山捷平展」を開催中である。