神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

佐々木惣一宛山本有三の参議院全国区立候補の案内葉書

これも天神さんの骨董市で200円。佐々木は京大教授で憲法学者。先日家で誰ぞらに京大総長と嘘を言ってしまったが、立命館大学学長でした。葉書の内容は、安倍能成大内兵衛志賀直哉長谷川如是閑正宗白鳥らが山本有三参議院議員全国区の候補者として推挙すること、推挙に従い立候補を決意したという山本の挨拶、責任者は松坂忠則であることが印刷されている。なぜか消印が押されていないが、昨年同一の店から大正7年1月1日消印の満鉄立山臨時工事係の森島武郎*1から「京都法科大学 佐々木惣一」宛の年賀状を入手しているので、おそらく佐々木が所持していた物を遺族が処分したと思われる。
佐々木は昭和21年3月から22年5月まで貴族院議員。山本も21年5月から22年5月まで貴族院議員で、『山本有三全集』(新潮社、昭和52年5月)の年譜によると、22年4月参議院議員選挙の全国区に立候補、40万票弱の得票で第9位で当選している。また、葉書には山本の住所「東京都大田区新井宿三ノ一三六一」が手書きされているが、年譜によると21年12月末に大森区新井宿へ引っ越している。大森区は22年3月に蒲田区と合併して大田区になった。
選挙の立候補の挨拶状なので多数配られたと思われるが、著名人宛ということで多少は価値がありそうだ。
今年の憲法記念日京都新聞の「「錦の御旗」と憲法」という記事に佐々木も出てきたので紹介すると、

(略)
佐々木は敗戦の年の秋、近衛文麿元首相(当時は内大臣)に請われて帝国憲法の改正案(佐々木草案)づくりに着手。熱海の宿で突貫作業で11月下旬に書き上げた労をねぎらって、近衛は自らミカン狩りをしてきたという(佐々木著「憲法改正断層」)。
(略)
佐々木憲法草案は憲法裁判所を盛り込むなどしたが当時は発表されず、現行憲法づくりに反映されなかった。(略)

佐々木は山本に一票を投じただろうか。

*1:検索すると、台湾総督府に勤めていたことがあるようだ。