神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

飛鳥園内新しき村奈良支部の新藤正雄宛柳宗悦講演会の案内葉書

天神さんの骨董市で拾った葉書。「奈良博物館横 飛鳥園内」の「新しき村奈良支部」から天理中学校の新藤正雄宛葉書である。消印は不鮮明で3(又は2)年11月17日。
新しき村奈良支部は、『武者小路実篤全集』18巻(小学館、平成3年4月)の年譜によると、

大正15年1月7日 奈良市水門町五二の家を借りることに決まった。新しき村の奈良支部をつくり、以後、京都、大阪、神戸、和歌山など、近隣の各支部の集会にも足しげく出席して、村外会員の増加につとめた。

また、小川晴暘の飛鳥園と新しき村奈良支部との関係については、島村利正『奈良飛鳥園』(新潮社、昭和55年3月)に、

そのころ新しき村奈良支部の事務局を受持つ渡辺三郎にも、店を手伝って貰った。武者小路とも相談して、奈良支部の事務所も飛鳥園のなかに置くことにした。

とある。
葉書の内容は、11月20日猿沢池畔の蚊帳組合事務所で開催される柳宗悦の講演会の案内で、議題は「工藝の性質」である。『柳宗悦全集』の年譜にはこの講演会の記載はなかった。「新しき村会員演説」も行われたようで、北村兼子「普選に直面して」や渡辺三郎「新しき村運動の多様性」などがあがっている。北村は昭和2年7月に大阪朝日新聞社を退社した婦人記者だろう。新しき村の会員だったとは確認できない。大谷渡『北村兼子 炎のジャーナリスト』(東方出版、平成11年12月)によると、同新聞の大正15年7月13日朝刊から8月11日朝刊まで変装した社会部記者7人の潜入体験を綴った「人間市場に潜行して」が連載され、D記者が宮崎県児湯郡木城村の新しき村に潜入し、「武者小路の妻房子の姿を描写しつつ、人道主義的愛の理想を求めて建てられた「新しき村」にも、貧富と階級格差が生じていると記した」という。北村はB記者として福岡の女給体験記とG記者として神戸の歓楽街潜入記事を書いたらしい。そんな北村が新しき村奈良支部で演説するとは不思議な縁である。
なお、講演会の主催は新しき村奈良支部、後援は大阪毎日新聞奈良支局とあるので、詳細は大阪毎日新聞を見ればわかるかもしれない。
名宛人の新藤は、方言学者として多少知られた人物のようで、大田栄太郎「私の見た(経験した)特に戦前の方言研究史」『方言研究叢書』2巻(三弥井書店、昭和48年9月)によると、

「奈良方言」、後に「大和方言集」を書いた新藤正雄氏は、黙魯庵漫録という叢書を個人で出し、「奈良の方言」もその内の一冊で、理学者であるが土俗・芸術にも深い人であった。「莵田の方言」を書いた辻村佐平氏は、新藤氏の教え子と聞いた。

とある。
200円で入手した葉書だが、武者小路実篤新しき村、小川晴暘の飛鳥園、柳宗悦、北村兼子などの研究者の関心を引きそうな史料で、5,000円位の価値はあると思うが古本屋の皆様どんなものでしょうか。

北村兼子―炎のジャーナリスト (おおさか人物評伝)

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