神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『南木芳太郎日記』に宮武辰夫氏出版記念会

久しぶりに『南木芳太郎日記』を買ってきた。第3巻が平成26年8月に出ていたのであった。解題として、南木ドナルドヨシロウ「南木芳太郎の蔵書印」が付いている。読んでいると、「原始藝術品蒐集者にして幼年美術研究者だった宮武辰夫のもう一つの顔」で紹介した宮武辰夫が出てきた。

(昭和十三年)
一月二十二日
(略)
◯高しま屋孝橋氏より電話あり、宮武辰夫氏出版記念会案内。
(略)
◯高山辰三君へ来る廿一(ママ)日の宮武辰夫氏記念出版会欠席の返事出す。
(略)
一月二十八日
(略)
予記
午後五時、南海高しま屋にて宮武辰夫氏出版記念会。
(略)

宮武の出版とは、『東印度諸島の怪奇と藝術』(宮武辰夫、昭和12年12月)と思われる。1000部限定の自費出版で、古書価は多少する。同書によると、宮武は昭和11年初秋に日本を出て、東印度諸島を周り、12年7月に帰国している。年譜に現れていない海外渡航がまだありそうだ。
日記中の高山は、『近代日本社会運動史大事典』(日外アソシエーツ)によると、明治25年山形県南置賜郡上長井村生、昭和31年没の歌人・新聞記者・社会運動家昭和11年大阪で美術評論誌『美術と趣味』を創刊編集とあるので、宮武とはその関係の知り合いなのだろう*1。ついでに高山の記者歴を調べると、『日本新聞年鑑』大正13年版には、前東京毎日社会部とあり、「新聞歴」は「やまと、大阪日日、報知、大正日日、読売」とあった。また、「思想」は「無政府共産主義」とある。前掲事典には、大正末年共産党員をかくまったため逮捕されたとあるので、確かに共産主義者だったようだ。戦後は、社会党に参加したという。
宮武は関西の趣味人にはよく知られた存在だったようなので、今後も目にする機会がありそうだ。
(参考)「南木芳太郎と『食道楽』の時代

*1:追記:宮武は、『美術と趣味』1巻2号(美術と趣味社、昭和11年12月)に「文展洋画部そゞろ歩き」を、2巻9号(同社、昭和12年9月)に「バリー島の怪奇土俗」を執筆している。