神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

性科学者羽太鋭治を殺した宮武外骨

木本至*1『評伝宮武外骨』(社会思想社、昭和59年10月)によると、外骨は二階堂招久『初夜権ーーJUS PRIMAE NOCTISの社会学的攻究』(無名出版、大正15年4月)の版権を南海書院(代表近藤久男)に売ったが、同社の出資者である羽太鋭治の「精力増進回春秘薬キング・オブ・キングス」の宣伝に利用されたと知り憤怒したという。そして、外骨は『書物展望』昭和9年2月の「抗議」に次のように書いたとある。

予は近世雨後の筍の如く簇出するデモ文士イカサマ原稿屋の多いのが癪に障り、何等の素養もなく、廉恥心もなくて、他人の著作物を無雑(ママ)作に剽窃する不埒な奴を黙過せず、膺懲を加へる目的で、近年来偽作者羽太鋭治、近藤久男(中略)*2等に制裁を加へ*3

木本氏は「どのような「制裁』を加えたのか」と書くだけで具体的な「制裁」については言及していない。ところが、三田村鳶魚の日記にそれに関する記述があった。

(昭和三年)
三月十二日(月)
藤沢清造氏の添書にて金沢啓助といふ人来訪、羽太某の名にて初夜なにとやらを書きたる本人也、艶道通鑑を孫引せしを、宮武外骨より版権訴訟を以て脅され、其書は如何なるものかといふ問案なり。

「金沢啓助」は羽太鋭治と共著で『生殖器学全書』(大日本メイル株式会社出版部、大正8年2月)を書いた金沢と思われる。そこでの肩書きは「衛生世界主筆」である。『衛生世界』は明治新聞雑誌文庫が所蔵していて、大正3年10月創刊、発行は衛生世界社である。また、「日本の古本屋」に同誌3巻10号(大正5年)が出品されている情報によると羽太が同誌主幹である。なお、「ざっさくプラス」によると、金沢は『文藝市場』大正15年8月号に「思想史に現はれた精液」を執筆している。
日記中の「初夜なにとやら」は羽太の『性愛技巧と初夜の誘導 附.避妊の要領』(南海書院、昭和2年10月初版・同年11月5版)*4と思われるが、日記の記述によると金沢がゴーストライターだったようだ。この本は外国の事例・研究の紹介が中心だが、幾つか日本の状況についても言及されている。たとえば、
・「日本にも在つた初夜権の遺風」では、淡路島、奥州、大分県臼杵町、豊後国日出郡夜明村の事例が紹介されている。
・「女性の臀部に対する性的憧憬」では、元禄以前は一般に大きい臀が愛されたとして、西鶴を引用している。
・「貝原益軒の性愛衛生訓」では、貝原の『養生訓』を引用している。
木本氏によると、羽太は昭和3年12月末に「キング・オブ・キングス」で医師法違反に問われ、損害賠償問題まで発生し窮地に立ち4年8月に自殺、「外骨の「制裁」が、この死に至る経緯に多少の関りがありそうである」としている。『艶道通鑑』は正徳5年刊行のようで、そこから「孫引」したとしても「版権訴訟」が成立するのか疑問だが、多少は自殺へ追い込んだ一因になったかもしれない。
ところで、日記中の「藤沢清造」は昭和7年1月にのたれ死にする私小説家、劇作家の藤沢と思われるが、金沢とはどういう関係だったのだろうか。西村賢太氏なら何か御存じかもしれない。

*1:昭和12年群馬県生まれ。『出版ニュース』に「ブック・ストリート 古書」を連載中。

*2:省略されたのは、「渋谷伊助、久保盛丸」。

*3:この後に昨今は朝比奈知泉外2名を告訴中の事件がある旨書かれているが、省略されている。

*4:昭和2年11月7日付け5版は同月8日発禁となり、同月20日改題改訂版を『性愛研究と初夜の知識 附.避妊の要領』として出したようだ。